庭・街・風景に思う

数千年の環境林をつくる、かつての知恵     平成24年9月6日

 ここ1週間、とある小さな仕事のプレゼンのため、植栽後の健康な根の成長のための盛土や土壌改良における、昔の日本人の素晴らしい知恵や工法について、どう説明しようか、そればかり考えていました。
 木は数百年、そして森は数千年の時を超えて、私たちの過去、現在、そして遠い未来にいたるまで、気の遠くなるような長い時間を超えて、我々生き物の命を支えてくれるのが木々というものです。
 かつての日本人は、住まいを守る屋敷森や社寺仏閣などの神域を守る鎮守の森、通行を守る街道並木など、それこそ子孫代々にまで存続して暮らしの環境を守り続ける永続的で健康な森を作りうるだけの知恵が、かつてはありました。

 こうした素晴らしい経験的知恵は、今の街の緑化には全く生かされていないように感じます。
 めまぐるしく移り変わる現代、自分の世代だけではなく、子供達や孫たちに至るまでの将来長きにわたって快適に暮らせる美しい街を作るために、将来も健全に育ってゆくという視点で街の緑化がなされることが、今はほとんどないようです。
 そればかりか、街の木が大きくなれば将来の街の再開発の際に邪魔になるという発想もあるのではとも感じます。
 こんな考え、こんな世の中で、愛される美しい街など生まれるはずがありません。
木や森は、数百年、数千年の時を見据えて造営されねば、本当に豊かで深く、命を守る自然や、温かみのある愛される街の風景も決して育っていきません。

 数百年、数千年の木々の命をまっとうさせるためにはどうしたらよいか、かつての素晴らしい知恵をここで紹介したいと思います。

 これは千葉県印西市、吉高のオオザクラで、推定樹齢300年以上、枝幅は25m近くに及びます。
 江戸時代から変わらぬようなのどかな農村風景の中、1本の枝葉だけで樹林を作ってしまうほどの圧倒的なスケールに成長したこの木は、市の天然記念物に指定されています。

 根元を見ると、周囲より1m以上小高いマウンドが盛られており、そしてその上にこの桜が育っていたのです。マウンドの上には古い祠があります。
 ここは代々この土地の所有者、須藤家の氏神として塚状に盛られており、そしてその上に、氏神を守るための記念樹的に、苗木が植えられたのでしょう。
 かつてはこうした盛土の際、畑の造成などで出てきた石や古瓦、切株などを混ぜながら、ほっこらと盛り上げていったようです。
 ダンプなどの大型土木機械や運搬車両などのない当時、現在のように土をどこかから運んできて盛り上げるということはほとんどありません。
 植栽予定地の土中をふかく穴を掘り、そこに廃材や不要な石などを漉き込みながら掘り上げた土を埋め戻し、ほっこらと盛り上げていったのでした。
 祠(ほこら)の語源はきっと、「ふっくら」「ほっこら」と言った、この盛り上げたマウンドの様子から言われるようになったのではないかと思います。

  こうして作られたマウンドは、土中にたくさんの空隙が生まれ、根の生育のために必要な酸素が地中深くまで入り込める土壌環境となるのです。

 樹木の健康や地上部の成長は、根(根系)の状態によります。根系が健全で深部にまで根が張りめぐらされて来なければ、本来大きくなるはずの樹種であっても、一定以上の大きさになると枝先が枯れて、それ以上大きくなれなくなります。また、根が健全でなければ、ある程度の大きさ以上になった樹体を支えることができなくなり、大風などの度に浅い根がちぎられて徐々に衰退し、やがて病虫害の集中攻撃を受けて枯死してしまうのです。

 これは千葉県九十九里浜沿いの低地に、防潮林として植栽されたクロマツ樹林です。クロマツが潮風に強いという理由で、数十年前から植栽され続けてきましたが、次々に枯れて、今や無残な状態となっています。
 これは海辺の低地で地下水位が高いこの地では、クロマツの根系は深部にまでは伸びていけないのです。
 若いうちは健全な成長を見せるのですが、その木々にとっての根の発育条件が悪いと、一定以上の大きさになる前に衰弱し、そして病虫害に侵されて、その寿命をまっとうすることなく、枯死してゆくのです。
 何のための防災林なのでしょうか。これでは木も可哀そうです。

 千葉県印西市、平安時代からこの地に鎮座してきた松虫寺の外周環境林跡です。
お寺を守る外周林を作るために、この土手が盛られたのはおそらく江戸時代ではないかと思います。切株や石を混ぜながら土を盛り上げ、まずは根系の健康な生育条件を作るのです。
 後世長きにわたって街を守る豊かな環境林を作るために、かつては当たり前のようにこうした盛土がなされたのです。
 
 かつての平地の屋敷森でも土塁を盛り上げて、そこにその土地本来の樹種の、どんぐりや苗木を密植してゆくのです。
 そして、木々の成長に応じて間引きしながら、育てていきます。間引いた木の切り株はそのまま残すのです。この切株が徐々に腐り、土中に有機物をじわじわと供給しながら深くまで空洞を作ります。そしてその空洞には残された樹木の根が集中して取り付きます。そこには表土から伝った栄養に富む水分や空気があるからです。
 間引きした後の切株も、健全な環境林を育てるために重要な役割を担うのです。

 そしてこの土手の端には、かつての外周環境林の名残であるシイノキの古木が残っています。
盛られた環境ゆえに、おそらく数百年という年月を生きてきたのでしょうが、根の腐植が進み、地上部まで空洞が達しています。シイノキの寿命は本来もっとはるかに長いのですが、周囲の他の木が切られて孤立したことや、すぐ近くに道路が舗装されて根が傷みつけられたことで、数百年の古木も急速に痛んでくるようです。

 長い歴史と共に生きてきた美しい農村では、今も道脇にほっこらと盛られた祠や巨木が残ります。
 このシイノキも、祠のあるマウンドに落ちた実生が健全に育ち、そしてここまでの大木になったのでしょう。いまは祠を守る神木として残されているようですが、かつては根の生育環境の整ったマウンドに落ちた一粒のどんぐりだったことでしょう。

 これは江戸時代初期に造成された古道、箱根旧街道です。山の中腹を回り込むように石畳の道が作られ、そしてその道を土砂災害から守るために、道沿いの谷側(写真左側)に土盛りがなされ、そこに街道を守る環境保全林として今も残る古道の並木が造られたのです。

 これは箱根古道の石畳と並木造成のために盛り上げられたマウンドの断面図です。
土盛りは道を造成する際に出てきた石を土と混ぜながら積み上げて、そしてその上に苗木を密植するのです。
 植栽直後はおそらく、マウンドの土が流れないように表面に稲藁を敷いて保護したことでしょう。ほっこらと盛られて根の生育条件が整えられたこうした土手に密植された苗木たちは、急速に根を張り巡らせて、数年で表土流亡がなくなります。林床に進入してきた様々な植物もまた、土手の保護に欠かせない役割を果たします。
 そして、10数年もすれば、すでに地中2m程度の深根を張りめぐらせて、その後数百年と永続的に山道を守り続けるのです。
 素晴らしき知恵。
 かつての何気ない知恵の素晴らしさ、数百年数千年の森を育てて暮らしを守る、そんな発想が今こそ必要な時ではないでしょうか。

 これは千葉市内の臨海公園の並木です。風当たりの強い海辺に、十分な土壌環境改善を施さず、その上まばらに植栽されてもなかなか良い状態にはなりません。公園内の大方の木々は、写真のように頭の先端が枯れています。
 こうした場所こそ、地中深くから土中空隙を残しながらほっこらとマウンドを盛り上げて根の生育条件を整え、そして苗木を密植して間引きしながら育ててゆくことが大切です。
 間引きした木の根が、土中をさらに改良し、残された木々の根は切株を伝って土中にしみ込む空気や水を得て、健全な根の生育環境がさらに促進されるのです。
 そして間引きした伐採木は、燃やしてしまうのではなく、乾燥させて次の植栽マウンド造成の際に漉き込むことで、次の樹木生育環境が生まれます。

 潮風に強いとされるマテバシイでさえ、海風をまともに受ける場所に1本だけで移植されればこうして枝先は枯れ、まるで幹を守るように数多くの枝葉が幹元から芽吹きます。
 生きるか死ぬかの瀬戸際で、この木が樹勢を回復するには相当の年月が必要なことでしょう。

 これは京都知恩院参道脇の環境保全林です。これも元は江戸時代の造成です。
参道を守るように、やはり石や切株、廃瓦などの廃材を土と混ぜながら盛り上げ、石積みによって土留めがなされて苗木を植え付けられ、現在に至ります。
 かつては数百年の未来を見据えて、こうして環境林が造成されたのです。
 現代だけでなく将来末永きにわたって暮らしを守る木々を育てるという、その発想がなければ、本物の環境林も風格のある美しい街も育まれようがありません。未来永劫の財産となるのが、こうした木々であり、現在だけのものではないのです。
 石積みはもちろん、数百年の時を超えて永続的に保たれるように積まれます。もちろん、セメントなどない時代ですし、仮にあったとしても、耐久寿命50年程度のコンクリートで作るなどという発想は生まれなかったことでしょう。

 木々を扱うものとして、我々人間のスケールを超えて暮らしの環境を守り続けてくれるという発想が、緑豊かで愛され、心から癒される故郷の街づくりのために、とても大切なことと思います。

株式会社高田造園設計事務所様

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