樹木の偉大な力 鹿島神宮にて 平成24年9月8日
ここは常陸国、東国三社の一つ、鹿島神宮の境内です。境内の森は、この地に古来から続く貴重な森の姿を今に残し、700種以上と言われる植物がこの地で共存しています。
打ち合わせのために鹿島を訪れ、そしてこの素晴らしい貴重な森を訪ねました。
杉やモミ、カヤなどの針葉樹大高木と、スダジイ、タブノキ、カシノキなどの常緑樹高木とがそれぞれ巨木となって階層を作る、とても豊かな森です。
こんな森が失われたら、再生できるまでに数百年は必要です。
いいえ、温暖化が急速に進むこれからの時代、東日本太平洋岸の暖温帯気候域の極相となる針葉樹広葉樹混交の森がここまで見事な階層を作ることは今後はあり得ないかもしれません。
豊かな森は数百年以上の年月が育みます。そう考えると今ある豊かな森は未来のために絶対に残していかねばならないと感じます。
豊かな森では、常に森の中の世代交代が活発に進行して、とても賑やかな林床の様相を見せます。
常緑樹の森は暗くて生態系に乏しい印象を持つ人も多いと思いますが、それは人による攪乱や植林、余計な介入を受けて乱れた状態の場合であり、安定した森はこうして非常に豊かな状態になるのが、日本の気候環境下でのこうした森の素晴らしさです。
林床では様々な植物が密生してせめぎ合い、共存し、そして光環境が変化して自分が大きく伸長できる機会が訪れる日を、今か今かと根気よく待っているようです。
林床に密生するカシノキの幼苗。こうしてどんぐりが落ちて多数の芽を出し、そして競合しながら淘汰されていき、生き残った木々も、上部空間を占める高木が倒れて空間が開けるのを待ち続けます。
自然に更新される安定した森はこうしていつまでも豊かな森を維持し続けていきます。
多様性豊かな本物の森は、「多種類の生き物が全体で作る緩やかな有機体」、先日、稀代の植物生態学者、宮脇昭先生が私にそう話してくださいました。
杉の巨木に抱き着くように、シイノキとカシノキが高さ20mの樹冠を作っています。杉は高さ30mくらいですので、この一体化した3本だけで、常緑樹広葉樹混交林の階層群落の上層部を構成しています。杉の根元に守られて、これらの2本が育ってきたのでしょう。
根元では、杉の木の懐深くにカシノキが抱かれて育てられているようです。
木々はこうして共存し、森の環境をみんなで作っていくのです。
ぜひ知っていただきたいことは、木々は人間とも共存しようとするという事実です。
古くからの参道脇のシイノキの根です。しっかりと参道をよけて太い根を自らかわし、道を犯しません。
参道側に傾く巨木の幹を支えねばならないこんな木でも、参道際の石の見切りを犯すことなく、山側に根をかわしています。
杉の根も同様、太い根を左に撒いて、参道を避けています。
そして、暖温帯最強の根圧とも言われるタブノキの巨木の根でさえ、人が抱えられる程度の大きさの間知石を積んだだけの土留めを壊すことなく、根をかわしているのです。
この傾いた幹を支えるのに、石積み側に根を出したいところでしょうが、それを我慢してくれているのです。
私たち人間のスケールをはるかに超える人生経験(樹生経験?)豊かな巨木たちは、いろんなことが分かっていて、賢く優しく、知恵に富んでいます。
人がこの森を神の宿る森として大切にしていることを感じているのでしょう。だから、こうして人とも共存しようとしてくれるのでしょう。
「街路樹の根が道路や縁石や配管を壊すから困る」などという人がいます。そんな話を聞くと、いつも私は思います。
それでは、あなたは街路樹の気持ちを考えたことがあるのでしょうか。
あんな熱い道路沿いに無理やり連れて行かれて、しかも共に生きる仲間もいない。
その上、十分に根を伸ばす環境も与えてもらえず、しかも落ち葉が邪魔だと、手足をばさばさ切られてしまう。
愛されずに邪魔者扱いされる。
そんな扱いをされた木々が、どうして人と共存しようと思うでしょうか。どうして優しくなれるでしょうか。
木を扱う人間が木に愛情を注がないから、木もやむを得ず道路を壊して生き抜こうとするのでしょう。
木々の気持ちを考えて大切にすれば、木々も共存しようとすることは、わずか20年程度の私の造園経験の中でも、これだけは確信を持って言えます。
街路樹を植える人たちに是非考えていただきたいと思います。
あんな劣悪な環境で、決して健康に生きていけないくらいの狭い植枡に木を植えるのであれば、せめてできる限り深くまで土を改善してあげるくらいの優しさを持てずにどうして木々が心開いてくれるでしょう。
自分が植えた街路樹に毎日語りかけて欲しい。
「こんな場所に植えてごめんな。でも、ここに来てくれたおかげで木陰ができて、潤いのなかった街に潤いが生まれ、人が助かっている。ありがとう。でも、ごめんな。大切にするから。できるだけのことはするから、許してくれ。」
と、毎日頭を下げて欲しい。
木はすべての生き物と共存したいのです。大切にしてくれる人間に歩み寄ってくれるのです。
我々が木々の恩恵を得たいのであれば、木々を愛し、大切に活かそうとする心がけが欠かせないのではないでしょうか。
鹿島神宮の山門脇、樹高30m以上の杉の巨木の真ん中から、なんとシイノキの太い幹が枝葉を広げていました。
杉の懐に抱かれるように、太くなったシイノキが健全に生きています。きっと、杉の幹の中
腹にできた、ウロと呼ばれる穴に落ち葉が溜まって土になり、シイノキのどんぐりがそこで芽吹いたのでしょう。
針葉樹の杉と広葉樹のシイノキ、維管束の形態もまったく異なり、こうした異種の樹種の根や幹は癒合することはないと考えるのが机上の一般論かもしれません。しかし、仲良く抱き合い癒合することもあることを、木を愛し、実際に見ている人たちは知っています。
このシイノキの根は杉の胎内に根を張っているのか、あるいは杉の胎内の空洞を通して根を大地に降ろしているのか、それは分かりません。
しかし、こうして仲睦ましく、杉が自分の胎内のシイノキを抱いて守り、生かしていることは確かです。そして、抱かれたシイノキも杉を犯すことを決してしないのでしょう。
「懐が深い」そんな言葉があります。
木々を見ていると、自分の懐の小ささに恥じ入る思いに駆られます。せめて、木に対するときくらいは懐深く、優しくありたいものです。。