猫の風葬 2019年2月26日
夕方、明日の材料の準備をしていたところ、竹炭袋の上にかぶせていたブルーシートをめくると、事務所に居ついていた猫が、そこで亡くなっていたのでした。
土の上ではなく、ブルーシートの下の温度変化の激しい場所で亡くなったので、遺体は腐敗して、蛆が涌き、匂いも放っていたのです。
野ざらしで死ぬ、それが生きとし生けるもののありのままの姿です。四つ足の動物達は、死期を悟ると、自ら木の下や草のしとねやくぼみや洞穴、ふんわりとした落ち葉の上に、移動して、そこで伏せて、自ら大地に還る時を待ちます。
ところがこの猫は、炭袋の上で、力尽きたのか、何かを抱くように、息絶えてしまい、大地に還れずにいたのでした。。。
その世界に本来、火葬もなければ土葬もないのです。
遺体を埋めずに風化させる葬り方を、人は「風葬」と言いますが、本来の自然の摂理にかなったものは風葬しかないのです。
野ざらしで、きちんと大地の循環に帰するためには、死に場所が大切。然るべき場所に然るべき方法で葬ってあげることが大切です。
その方法について、一部始終をご紹介したいと思います。
腐敗し始めてしまった猫の遺体を、麻布に寝かせて包んで、そして葬り場まで、ゆりかごの赤子のように運びます。
事務所に居ついていた猫ですので、事務所の中の、もっとも心地よい場所に寝かせたい、そんな思いで、大きなコナラの下のふんわりとした根元を選びました。
大木の下は根や菌糸が大きな空間を土中に作り、そこには、いのちの活発な循環が生じていて、大地に還るには、少なくともうちの敷地内では最適な場所です。
落ち葉をめくり、そして炭を敷きます。かつては土葬の際にも、棺桶の下に炭を敷いて、大地に還りやすい状態にしたそうですが、昔はそうしたことが直感で分かっていたのでしょう。
そして、麻布のまま、そこに置きます。
麻布にくるむ前に、炭を敷きます。
猫さんを炭でくるむように、かぶせていき、そして、麻布で包みます。
麻布の両脇にまた、上から炭をまぶして、
そして、両脇に、土をかぶせていきます。半分、埋まったような形にします。
空気にさらされすぎると菌糸が働きにくいからです。遺体がミイラになることなく、きちんと大地の循環の中へと、肉体が消滅していって、そして、樹や草や虫達や鳥たちなど、他のいのちへと移ってゆくためには、菌糸にとっても、住みやすい環境にしてあげることが大切です。
供養のために墓石を立てます。人間以外の四つ足の場合、加工した石ではなく何気ない自然の石がよく、動物の場合は石を立てる必要もないのですが、この猫には僕自身、特別な想いがあって、石を立てました。
いつも、事務所の離れ屋の、もみ殻袋の上を寝場所にしていた猫なのです。
そこが温かかったのでしょう。でも、いつの間にか、そこで寝ることがなくなり、居なくなっていたのです。
そして、炭袋が、その時の記憶を思い起こさせたのか、きっと寒い冬の日に、ブルーシートの下の炭袋の上で寝たところ、そのまま力尽きてしまったのでしょう。
その思い出が大きくて、そこで今回、小さな石を立てることにしました。
そしてまた、その上にも周りにも、炭を撒きます。
紅梅が咲いていたので、石の前に花を飾りました。奥の、こんもり盛り上がった、落ち葉の下に、麻布の中で猫は大地に還るのです。そしてその後は、この土地のいのちとなって、僕らとともに生き続けることでしょう。
この世の生、成仏させてあげたい、大地のいのちの中に還してあげたい、そんな思いで、僕はこれまで幾度も、道路で死んでいる動物を野や山に移動して風葬してきました。
先日、沖縄の風葬地を数十か所も調べて廻りました。段丘の洞窟、巨石の下、そしてその上にはガジュマルが移動して来てどっしりと包み込む、そんな光景から、本当に、私たちは生ある時も死の世界に至るときも、常に大地と共にあってそして大地に帰していく、そんなあり方に戻らないといけない、そんな想いすら感じながら、帰ってきました。
身土不二、と言います。その土地で生きて、そしてその土地で死して、一緒に生きてきた、周囲の他の新しいいのちへと溶け込むこと、こうした営みこそ、現代、再び思い起こさねばならない大切なことではないでしょうか。
このコナラの下はいつも、フキノトウが一斉に出ます。これからこのフキノトウを食すとき、僕らの身体にこの猫のいのちが宿るのです。
いのちの循環、こうしたことを感じる機会が今、あまりにもなくなってしまいました。
それではいけません。こうした自然の営みを感じて生きること、その大切さ、伝えていきたいです。