住まいの緑を考える 施工半年後の手入れ 平成24年8月29日
ここは私の地元、千葉市緑区Tさんの住まいです。造園外構施工後、半年が経過し、猛暑に負けずに木々は力強くなじみ始めてきていました。
外から見ると圧倒的なボリュームの木々の合間の家屋に見えますが、庭に入ると木漏れ日の下の空間が広がっています。これが私たちのつくる、住まいの環境としての庭空間なのです。
木々によって夏の木陰を上手に配し、そして2階を含めて窓越しに枝葉をかぶせてゆくことによって周囲が気にならない窓の景色をつくります。
道路から見て、この庭と木々があることで、街の景色が潤います。朝夕にはこの庭の木陰が道路にまで伸びて、涼しさを感じさせてくれます。
庭を植栽することで街の風景まで美しく潤わせてゆく、これからの街づくりにはそんな視点が大切だと実感します。
写真右手前の赤い車の家がTさんの家、通りを挟んで連なる家々には緑は少なく、潤いのない暑苦しい景色が連なります。どんな街も家でも、それを包み込んで明暗を作り出す緑がなければ落ち着きは生まれません。
各家には、この分譲地の開発者であるハウスメーカーが通りごとに指定した「シンボルツリー」なるものが点々と連なっていますが、この殺風景さはどうでしょうか。
これが、「我が家と街が調和した美しい空間」とか、「統一感のある、ワンランク上の美しい街」など言った宣伝文句を持って分譲されているのですから、おかしなものです。木陰のない街は、日中の日差しを浴びて蓄熱したアスファルトやコンクリートが夜も冷えることなく、一晩中街を温め続けてしまいます。
高断熱をうたうこうした住宅では、それでも外界を拒絶してエアコンを回せば暮らしていけるでしょう。でも、そんな住まいの環境がいつまで続くのでしょう。不快な外環境を拒絶して潤いのない住環境に、誰が愛着を感じるというのでしょう。
ハウスメーカーの商売で、口先ばかりの美辞麗句で街を作るのではなく、本当にその街や緑を愛する心ある人たちが積極的に街をよくしていかねば、住みやすい街など育まれるはずがありません。
緑を愛するTさん夫妻がここに住まれているからこそ、街の一角を潤すこの風景が生まれるのです。
机上で家や街を設計しようとするハウスメーカーではなく、そこに住まれる人の心が街の風景を育ててゆくのでしょう。