長崎にて 平成27年1月15日
新年早々の初仕事は、長崎での造園工事打ち合わせと現地視察となりました。
私たちの庭つくりは、その土地の風土と切り離しては考えることはできません。遠方の地で庭を計画するに当たって、まずはその土地の気候風土を肌身で感じ取ってゆく作業がどうしても必要になります。
全国様々な地域からの設計依頼がある度に、こうしてその土地との縁が一つずつ生まれ、そしてそのことが自分自身の糧になってゆく、そんなありがたさを受け止めながら、日々学び続けつつ、未来の環境を少しでもよくしてゆくために力を尽くしていきたい。そんな想いも、こうした旅先でこそ、強く沸き起こるものです。
長崎の地、私にとってこれが3度目の訪問となります。数十万年という悠久の歴史の中で活発な火山活動や地殻変動を繰り返しつつ、今の変化に富む地形と独特の環境が育まれてきました。
静かで清らかな空気感と共に、海岸線の深い入り組みや山々の起伏の激しさ、そんな印象をいつも受けます。
対馬暖流はもたらす温暖な海水美しく、海岸付近にまで迫る急峻な岩場や山々から流れ込む豊富なプランクトンや有機物を餌に、近海には昔から豊かな漁場が形成されてきたようです。
海岸沿いのアコウの巨木を見つけます。この地に根を下ろして100数十年、あるいはもっとかもしれません。亜熱帯気候下の海辺に育つアコウの木が、どんな縁でこの地に来たのか、知る由もありませんが、この土地がアコウの木を許容して大木へと育てていったという事実に、温暖で豊かな気候風土が偲ばれます。
海と向かい合って暮らしてきた、海辺の集落を守る海岸防風林。
ウバメガシにトベラ、シャリンバイといった潮風に強い木々が混植密植されて、この土地の暮らしを潮風から守っています。
防風林の枝葉は、台風や大しけの度に強烈な潮風や波しぶきをまともに受けて、海に面した側の葉は黄ばんで傷んで見えます。しかし、この最前線の枝葉が潮風を和らげて、密集してお互いを守りあいつつ、この地に必死に生育し続けてきたのでしょう。
防風林の幅も、機能的に木々の生育を許容しており、この地に暮らす見事な知恵が感じられる光景です。
きっと、海岸線のコンクリート防波堤などの整備がなされるよりもずっと以前、つまりこの地に人の営みが始まると同時に、この防風林が形成され守られてきたことでしょう。
その点、現代の公共緑化は、その知恵の深さにおいて及ぶべくもありません。、公共緑化的に造成される海岸防風林の多くが健全に生育していない昨今の現状を考えると、自然の営みと共存し、数百年という長きにわたって暮らしを守る木々が健全な状態で当たり前のように維持されてきた、かつての知恵の奥深さにただただ敬服いたします。
豊かな気候風土に恵まれた急峻な土地に生きるということ、その中で人は土地を刻み、子孫永代の暮らしを想い、傾斜地に石を積み、豊饒の土地を整備してきた先人の営みがあり、そしてそれが今のその地の基盤となる。
千々石町の棚田の風景は、はるか昔から連綿と続くこの地の営みの糸を感じさせてくれます。
石を積み、傾斜地に人の豊かな営みを共存させてゆく。土中の水や空気の流れを妨げることのないかつての石積みは、自然の推移の中でも自律的に守られて、いつまでもこの光景が続きます。
そしてそれが心地よく人の心の奥底に響いてやまない真実の人の在り方を感じさせてくれます。
違和感のない人の営みの風景は何とも言えず美しく、心に残っていきます。風景を育てる、あるいは景観を作るということ、それは現代の造園や土木建築的に一朝一夕に作ってしまうものではなく、時間をかけてその土地に向き合い、そして未来を想い育て上げてゆくものだということに気づきます。
そんな風に仕事していきたい、新年初めの旅先でそんな想いに駆られます。
ここは雲仙岳の上部、いたるところに高熱の温泉の湧出する、雲仙地獄と呼ばれる地。湧出する湯温は最高105度という、日本で最も高熱の温泉の噴出で知られます。
土地の空気感というものは、歴史の因縁や宿命を背負っていることも、この長崎の地で、ことさら強く感じます。
江戸時代を中心に数百年にも及ぶ激しいキリシタン弾圧、そして原爆投下。こんなに素晴らしい土地なのに、なにかもの悲しい空気の重さを感じるのは、そんな歴史を見つめてきた土地だからなのでしょう。
この雲仙地獄ではかつての敬虔なキリシタンに対する、残虐な拷問の場となり、罪なき老若男女が多数、この地で殉教していったのです。
キリシタンに対するおぞましい拷問がこの地で行われたのは、主に江戸時代初期のことです。3代将軍徳川家光の命を受けて、島原藩主松倉重政が、島原や浦上などに住んでいたキリシタン住民をこの地に連行し、男女の別なく手の指を切り落とし、背中を断ち割り、この地に吹き出す熱湯を体に注ぎ、あるいは熱湯の池に全身をつけては引きずり出すという、想像に耐えない拷問がこの地で繰り広げられたのです。
血も涙もない拷問を指示した島原藩主はそれまで、領地内のキリシタンをひそかに黙認してきたのです。しかし、「キリシタンに対する取り締まりを強化せよ」という将軍の命を受けて、自国の領民に対し、人のなしえることとは思えない、もっとも残忍な拷問を実行するに至ったのです。
当時は粛清的に、外様大名に口実を見つけては次々とお家取りつぶしと領地没収が繰り返されていた中、幕府に対する従順な姿勢を見せるために、日本史上空前の残虐な行為に至ったのでしょう。
なにか、今の狂った政権とそ
の取り巻きや、生存の根本たる命のことや、子孫に受け繋ぐべき豊かな未来のことよりも、自己や目先のことにしか想像力を馳せることのできない今の政財界、今の日本が行きつくところを思い浮かべてしまいます。
ともかくも、江戸時代260年の泰平の陰に、こうした決して許されない、悲しい出来事がたくさんあることを改めて感じます
あのおぞましい悲劇から数百年経った今も、この地には地獄の底から響いてくるような叫び声が聞こえてくるようです。
ここは開国直後の江戸末期、1862年に建立した大浦天主堂です。日仏修好通商条約に基づき、在日フランス人のための礼拝堂として建設され、フランス人神父がここに赴任しました。そしてある日、、この教会を訪れた住民の一人が、自分たちは迫害に耐えながらカトリックの信仰を代々守り続けてきた、いわば隠れキリシタンであることを神父に告げたのです。
250年もの間神父不在の地で、禁止され迫害された信仰をひそかに守り伝えてきた人々がいたという事実は世界に伝わり、「東洋の奇跡」とも言われました。
敬虔で正しく美しく、不屈な人たち、善と崇高な意思に基づく美しい心は、お金や力と引き換えられるものではありません。
辺野古で基地新設反対のための抗議を続ける沖縄の方々を想う時、今の時代、これからますます厳しい日本の中において、しっかりと流されず、いのちのため、未来のため、子供たちのため、強く生きていかねばならない覚悟を新たにします。
長崎原爆の爆心地に立つ、被爆した浦上天主堂の壁の一部。
70年前、この地は木々も草もすべて燃え尽き、一瞬のうちにすべての命が炭のように燃え尽きてしまったのです。
今回、10数年ぶりにこの地を訪れました。
以前訪れた当時も、あまりよい時勢ではなかったのですが、今の日本の情勢はまた、さらに恐ろしく、暗いものが迫りつつあります。
今回長崎の地を歩いて感じた、空気の重さは間違いなく、恐ろしい間違いの歴史の重さであり、それがこの地の現代に及んで宿命のように、その土地の空気を形成しているように思えるのです。
また取り返すことのできない過ちを繰り返さぬよう、一地球人として心に強く言い聞かせます。
平和で、いのちの営み豊かな美しい日本、美しい世界を。
年の初めにこの地で思うことは、今の日本への憂いが大きくのしかかります。おそらく、多くの人が思うことなのでしょうが、繰り返してはいけない、そんな想いばかりが心に響きます。
明るい未来のために、明るくまっすぐ生きていこう、そんな決意を定めた旅となりました。