庭・街・風景に思う

謹賀新年 元旦      平成27年1月1日

 
  ブログを呼んでくださる皆様、あけましておめでとうございます。どんより曇った空模様の元旦ですが、今年は一人一人の力で世界を明るくしていければと願いを込めて、決意新たにいたします。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 私事になりますが、今年、実家の母親が引越しするため、生まれ育った実家への正月の里帰りも今回で最後となります。
 千葉市内の実家は、今の住まいから車でわずか20分足らずの場所なのですが、自分が生まれ育った実家がそこからなくなるということ、何とも言えない寂寥の想いがあります。
 元旦の今日、子供の頃の遊び場だった実家周辺の林に分け入り、40年近く前の名残を探します。
 この栗の木、多分この木、、昔この木にツリーハウスをつくり、そして根元に洞穴を掘った思い出の木、多分この木か、、あるいは違うか、当時とはずいぶん違う、笹薮をこぎ、少年時代の記憶を頼りにこの木の畔にたどり着き、そして木肌をなでます。

 写真左側の住宅地が、実家のある40年前の分譲地。その当時、道路右の斜面は造成したばかりで土がむき出しの切土の崖面だったのです。
 この崖に、地下水がところどころ浸みだして、そして崖を駆け上がっては近所のおじさんに「くずれるからそこであそぶな!」と怒られたものです。それでも子供たちは負けず、大人の目を盗んではこの崖をよじ登っては滑り、崖を崩して遊んでいた悪ガキ時代の記憶がよみがえります。
 その斜面も40年の時を経て、雑木林となりました。

 そして、今は枯れあがったかつての沼の跡地です。山の畔に、かつては生活排水を集めてここで自然浄化されていたのです。40年近く前の当時はここに様々な大きな魚にウシガエル、それにシラサギが住み着き、独特の雰囲気の沼がありました。
 この枯れ沼を見ると、ウシガエルの声が子守唄のように思い出されます。
 周辺分譲地の住宅圧に沼の自然浄化能力が次第に押され、そして最近では下水道が整備され、この沼地の役目は終わったのです。
 思えば、僕が子供だった時分のこの地域はまだ、人と周辺環境とが共存して持続的に暮らしてきた名残があった、ちょうどその過渡期だったことに気づきます。

 人の暮らしが山から離れるに従い、里山は荒れて笹に覆われていきます。しかし、実家周辺では今もこの森の一部が周辺の昔からの住民たちに利用されている様子が、こうした山道の整備からうかがえます。

 山の中に、小さな自給的菜園が点在する光景は今もかろうじて残ります。少年時代の暮らしん名残が今も残っている様子に心癒されます。
 それにしても、時間が止まったようなこの地域には、今も里山の名残がよくも残っている、そのことに、自分の故郷の欠片を見たようです。

 子供の頃に遊んだ里山も今はずいぶんと減りながらもこうして残っている、そう思いながら歩きつつ目に留まったのがこの看板。
 ここは15年前から千葉市の緑地保全地区に指定されていたのです。昔はこの山で大人が作業し、そして子供が遊び、そして小鳥に虫たち、様々な生き物たちの活動が生き生きと繰り広げられていたあの頃。
 今はこうした形でしかなかなか街中の緑は残されないものですが、それでも次世代に繋ぐことが何より大切なことかもしれません。

自分は確かに、この里山で育った。そんな想いをかみしめながら、これからの自分の歩むべき道を確認します。

 よい未来、自然豊かで平和で心豊かな未来のため、今年はさらに、身を粉にして歩んでいきたいと思います。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

株式会社高田造園設計事務所様

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