山行・旅

本州最西端 山口県を訪ねて      平成26年3月13日

 日々、ご紹介したい話題が次々に湧き上がりつつも、あわただしい日々に追われてブログ更新がなかなか進まず、またまた先の更新から2週間が経過してしまいました。

 2週間前の週末、造園設計打ち合わせのため山口県を訪れました。
これまであまりなじみのなかった土地での造園依頼は、新たな土地との出会いの機会であり、人の営み、歴史、自然環境に触れることで様々な新しい発見があります。
 新たな土地で庭を作る際、その土地の歴史風土を感じ取る作業が必ず必要になります。暮らしの環境としての庭は風土と切り離しては考えることができないからです。

 今回も打ち合わせの後、わずか1日のタイトなスケジュールで、県内を駆け巡ります。

 
 
 東洋屈指の大鍾乳洞、秋芳洞を水源とする川のほとりに自生するナンテン。石灰を含んだ乳白色の流れに点々と赤い実を映しています。
 丈夫なナンテンの木は庭で扱いやすく、美しく、私ももちろんよく用いますが、こうして自生している状態を見るのは初めてかもしれません。石灰岩基岩を好む性質から、カルスト台地の地下から流れる流れのほとりが居心地がよいのでしょう。

 本来は中国東南アジア原産と推測されるナンテンが、この県内には他の優先種に負けることなく自生するに適する風土条件があるせいか、日本のナンテン自生地としては山口県萩市川上のユズ及びナンテン自生地が有名で、国の天然記念物に指定されています。

 木々というものは、風土が持つ潜在的な条件のもとで、まったく違った成長や姿を見せます。
金閣寺夕桂亭には有名なナンテンの床柱がありますが、床柱になるほどの太さのナンテンはどこで育ったのか、川のほとりに自生して風景に溶け込むナンテンを見て、様々想いが馳せていきます。

 東洋最大の石灰岩カルスト台地秋吉台の下、数億年の年月をかけて形成された秋芳洞。
 大地にしみ込んだ雨水に含まれる酸によって少しずつ石灰岩を溶けてゆき、様々に神秘的な光景を洞内に作り出しています。
 カルスト台地では雨水は地中深く浸透して地表流にならず、浸み込んだ水がこうしてその地中に空洞を作ります。

 洞内から流れる川岸、亜熱帯林を彷彿とさせる苔むして鬱蒼とした多様な森の様子に温暖で雨量の多く湿気のこもりやすい土地の特性を感じ、これほどの鍾乳洞が形成された理由も素直にうなずける気がします。
 海底に堆積した生物の遺体が隆起して生じたカルスト台地は石灰が作る空洞せいか、保水性が悪く台地上では森が育ちにくく草原化しやすいのに対し、カルストの下の鍾乳洞から豊富な水が湧き出し、その周囲に豊かで樹種に富む生気あふれる森が広がる様子に、「風の谷のナウシカ」に登場する、腐海の底の浄化された空間が目に浮かび、大地の声が聞こえてくるようです。

 日本海岸のマツ林。中国山地には松林の名残が今も多く、その最西端の山口県では海岸から内陸部まで広くマツ林が分布しています。
 森を伐採して放置すると、関東ではコナラクヌギの雑木林となり、関西以西では松林になると言いますが、遠い昔から用材としての木材利用に加え、たたら製鉄のために過酷に森を利用し続けてきた歴史が土地を痩せさせていき、松林が優先しやすい潜在的な条件を作ってきたのでしょう。

 萩城下町、武家屋敷の庭の巨大なアカマツ。アカマツは山口県の県木に指定されています。

 武家屋敷の梁組。梁だけでなく屋根を支える小屋束柱にもマツ材のなぐり丸太が用いられている光景は関東の小屋組みを見慣れている目に新鮮に映ります。
 数十年前まで、日本の主要な建築構造材だったこうしたマツの大径材も、今では古民家でしか見ることができなくなりました。
 日本の山が生活資源として利用されることなく放置されるにしたがって、まっさきに減少してゆく運命にあるのがマツなのでしょう。

 県内陸部の放置林。枯れた立木はマツです。松枯れは自然遷移過程で、人が森を使わなくなって放置されれば多くの場所で松の優先性は失われてゆきます。
 人の暮らしと共に森があった時代、その暮らし方が作った松林の光景は当然姿を変えていき、今後は海岸や痩せた岩場など、本来マツが優先しやすい一部の場所にのみ残ってゆくことでしょう。

 ちなみにこれは、今施工中の庭に建築中の農具小屋の小屋組みです。材料はすべて50年前に立てられ、最近解体された納屋の古材を用いています。
 桁、棟の丸太はもちろんマツ材。粘りが強く数百年以上も変わることのない耐久性を誇るこうした材も、昔は日本中どこでも周囲の山から簡単に伐りだして建築用材として用いられてきましたが、そんな日本建築の長い歴史もここ数十年で、消えゆくマツ林と共にあっという間に終焉を迎えました。

 今、次々と解体される古民家の材は宝の山です。古材を活かしてかつての建築文化を今に伝えるのも造園の中に託された使命の一つかもしれません。

 日本海に張り出した半島の先、北長門海岸を訪れます。対馬海流の影響を受けて温暖ながらも、常時湿気を含んだ潮風にさらされる海岸線の岩壁はトベラやシャリンバイがじゅうたんのように斜面を覆います。

 海岸線から一歩内陸に入ると、一面に広がる笠山のヤブツバキ林の光景。
 温暖多湿な気候と溶岩の基岩がこの地にヤブツバキを優先させてきたようです。

 それでも今のような純林に近いヤブツバキ林の風景のなったのはごく最近のことで、40年前は藪山だったと言います。
 ここを訪れた植物学者がこの地に優先的に自生す
るヤブツバキに着目して、ツバキによる観光地化を提言したのが今の風景の始まりだったのです。
 対馬暖流の影響を受けて、椿林の中にはコウライタチバナやタチバナ、クスドイゲ、チシャノキ、ハマセンダン、カゴノキなど、希少種を含む亜熱帯性の樹種が自生しているのもこの地の特殊な条件を想わせます。

暖地の海岸で普通に見られるこのハマビワも、私の地元千葉では全く見られません。

 椿林に点在する太い幹はシロダモの巨木。シロダモは関東で普通に見られますが、これほどの巨木の景色は見慣れず、これがシロダモだと気付くまでに時間を要しました。
 同じ樹種でも風土によって見せる表情や雰囲気は全く違う。木々を扱う私たちの仕事では、「適地に適木」というのはもちろん基本なのですが、同じ木でありながら環境風土によって顕れる性質の違いに触れると、驚きと同時にわが身の浅学を悟ります。

 カラスザンショウの大木。私の地元千葉の若い山にも多いのですが、ここまで太くなるまでには樹種が入れ替わります。カラスザンショウとはそういうものだという思い込みも、自生して立派な大木として森の主木構成樹種となっている様子に溶け落ちていきます。

 板根がそのまま這い上がって束となって幹が形成されたようなムクノキの表情。

森の主のようなホルトノキの巨木からは、沖縄の深い森の中のガジュマルの大木のような精気を感じます。

 丈夫な下草として庭によく用いるノシラン。これも関東の山では見かけず、自生している姿を見たのは初めてかもしれません。
 いのちにはふるさとがあり、植物を知るにはふるさとで見せる表情からその木の命を感じることが大切だと改めて気づかされます。

 萩城下町の崩れかけた土塀。どれほどの年月が経過したことでしょう。壁が役目を終えてその土地に土にかえっていきます。
 私もそんな造園、そんな生き方をしていきたいと、改めて思います。
たった1日の旅、旅は人生を豊かにしてくれます。

株式会社高田造園設計事務所様

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