今月の天候に想うことと、茨城県鹿島市の造園工事 平成26年2月28日
2月初旬以来、ブログ更新の間隔が大変長らく空いてしまいました。3週間ぶりのブログです。
この間、度重なる記録的な大雪に閉ざされ、あるいは2月とは思えないほどの記録的な温暖な日々もありました。
そしてここ数日、大気汚染で太陽がかすむ日々が続いています。昨日は当社事務所所在地の千葉市若葉区で大気1㎥あたり90マイクログラム以上という高濃度のPM2.5が観測されました。
記録的な大雪に記録的な温暖な日、そしてこれまでにないほどの広域な大気汚染、今月はこれからの地球、これからの私たちの生存環境、いろいろと重く考えさせられた月となりました。
今朝の光景、茨城県鹿島市の現場へ向かう道すがら、一向に衰える気配のない霞んだ光景に、朝から気持ちが沈んでしまいます。
1キロ先の送電線の鉄塔が霞み、数キロ先に広がっているはずの街の光景はよどんだ霞に閉ざされて全く見えません。
こんな光景がここ数日続いているのです。
6年前までの数年間、造園工事のために幾度も訪れた隣国中国。この霞み具合は当時滞在した北京や蘇州の光景や殺伐とした空気感に大変よく似ています。
当時の中国、屋外での造園作業の中で気管支ぜんそくが悪化し、その後私は体調を優先し、中国での仕事から手を引きました。あの大気の中で屋外の仕事を続けることは、私にとっても社員たちにとっても危険だと判断したのです。
あれから6年、今はさらにひどい状況になっている様子が毎日のように報道されます。そしてこうして、日本中どこにも逃げられない、広域汚染の危険にさらされるようになりました。
私は長男の誕生の後、千葉市街の街中から、市内郊外の田舎へと移り住みました。7年前のことです。悪化した気管支ぜんそく改善のためと、良好な子育て環境を求めてのことでした。
かつては、都会を離れて自然豊かな田舎に行けば澄んだ空気が得られ、都会の劣悪な環境から逃げることができました。
しかしながら、これからの時代、地方に行っても田舎に行っても、本当の安全、安心は得られない時代となりました。
たとえ海外に移住しても、空気も水も土も、徐々に汚染が広がり、ついにはどこにも逃げ場所などなくなることでしょう。
大変なことが進行していることに、多くの人が気付いていることでしょう。
全ては私たち人間の業の結果であって、深刻な大気汚染が報道される中国ばかりの問題では決してありません。
未来の地球、いのちの生存基盤である健康な大地を犠牲にして、相変わらず景気や経済発展という、決して持続できない誤った価値観から軌道修正することもできない、私たち人間。
子供たちの未来のために、これから必ず迎えるであろう激動の時代を前にして、今月の驚くような気候の変化を目の当たりにして、大切なことは何か、自分の暮らしの中でできること、何をしてゆくべきか、そんなことを考えさせられます。
雪の後、幹折れや枝折れの被害の復旧や様子見に庭を訪ねて回ります。1週間ほど前に訪れた千葉市美浜区のカフェどんぐりの木。雪にも負けず、雑木は元気に春の新芽を膨らませていました。
お昼のひと時、カフェのオーナー、Sさんと語り合います。
「こんな時代に仕事ばかりしていていいのかと、暗い気持ちでそう思う時が最近よくあります。」
という私に、
「高田さん達の仕事は素晴らしい仕事ですから、し続けてくれないと。木を植えて、こんな心地よい環境を作ってくれるなんて、こんな素晴らしい仕事なかなかないですよ。未来のために自分ができることをやり続けましょ。」
とSさんが言ってくれました。
明るい未来の見えない時代、今年の夏もまた、経験したことのないさらなる気象災害がいつどこで起こるか分かりません。
そんな時代に沈むことなく、やるべきことを見つけて、明るく前向きに生きていかないと、そんな気にさせられた、カフェでのひと時でした。
さて、先週にかかり始めた茨城県鹿島市の造園外構工事、木柵を完成させる前に、狭い北側や東側の高木植栽にかかります。
木柵を互い違いに段差を設けて、その前後に植栽してゆくことによって狭い場所でも立体的で奥行きのある豊かな外観が生み出せます。
東南側から家屋を見ます。手前、菜園はブロックで土留めを回し、その外側を木柵で化粧しています。
菜園の土留めと玄関周辺。木柵と菜園の間から、玄関アプローチを通していきます。
そして南庭西側、菜園小屋の基礎石を据え終えました。
コンクリートではなく、玉石による建物基礎、つい一昔前の日本家屋の作り方です。
これからこの上に、古材を用いて小屋を建てます。
私たちの仕事、造園という仕事はとても楽しく、意義深く、日々生きがいと鋭気を与えてくれます。
すざましいばかりの今後の気候の変化、生存基盤たる環境の消失という、これまでの歴史が経験したことのない時代に向かう中での私たちの役割、そんなことを見すえながら、ささいなことですが、どんな庭を提供すべきか、日々試行錯誤の連続です。