震災後の日本を生きる 平成23年7月10日
5年前に庭造りさせていただいた千葉県袖ケ浦市Sさんの庭を訪ねました。
この家屋を包み込む雑木の大半はクヌギです。5年の年月を経て、夏の庭はすっかりと心地よい木陰に包み込まれておりました。
この庭が完成して5年もの間、実はこの庭の樹木の手入れは全くしておりません。
Sさん自らが必要に応じて庭の管理をしてきたのです。
私はこうして時々訪ねては、庭の管理について、いろいろとアドバイスというか、Sさんとおしゃべりして、帰るのです。それでも十分に、いい具合に庭が育っていました。
雑木越しの家屋の表情。
木々が生み出す光と影が、1日の時間をゆったりと豊かなものに感じさせてくれます。
灼熱の日本列島にあって、この庭には木陰が広がり、心地よい空気が流れています。木陰は本当にありがたいものです。こんな暑さの中でも木立の下では炎天下の日中でさえ、快適に過ごせるのですから。
木陰の庭は近所の子供たちの日中の遊び場になっているようです。
生命の躍動感あふれる夏の雑木の庭。いきいきした木々が葉を揺らし、涼しげな命の囁きを聞かせてくれます。
西日厳しい昼下がりの時間帯も、この庭だけは心地よい木陰の空間となります。
炎天下の夏の午後の時間、木々がなければ外にいるだけでも苦痛なはずなのに、木立の下では夏の日差しでさえ、楽しむことができるのです。
そしてここはSさんが今年になって飼い始めたヤギの小屋です。
私と同い年のSさんは、今年の初めに長年務めた外資系企業から脱サラし、農的自給的な暮らしを始めたのです。
山羊小屋も木柵も、Sさんが近所で拾い集めた木材を使ってつくられました。ハンドメイドな味わいが大らかな雰囲気によく似合います。
2ヶ月前にSさんが飼い始めたばかりの子ヤギ。名前はメイです。
餌は雑草です。えり好みはしますが、1日中もぐもぐと生い茂る夏草を食べ続けています。
Sさんの庭の向かい側では、近所のKさんが自給的な菜園をつくっていました。
自給的な菜園はとても美しく、本当に豊かな光景に思います。
自給的な菜園では、旬の野菜を少量ずつの多品目栽培するのが大きな特徴の一つでしょう。
ロシアのダーチャやドイツのクラインガルテンのように、震災を機に一部の日本人の中では、日常生活の一環として家庭の自給率を高めようとする空気を感じます。
実際のところ、ほんの数十年前までは、日本人の大半は、半ば自給的な暮らしを当然のごとく営んできたのです。
ある面、多くの人が大地から離れて営まれている今の日本社会こそが、おかしな時代なのかもしれません。
震災や、原発という社会的負債の清算に要する国民の負担は、これから数年以内に我々日本人の生活を変えてゆくことでしょう。目先の物質的な豊かさばかり追い求めて、自然や将来に対して負担を強いる社会の在り方は、今後数年以内に行き詰るのではないでしょうか。
もっとも、いずれそうなるはずの将来が、震災によって少しばかり早くなったにすぎないのかもしれませんが、日本社会は大きく変わります。
その時、私たちは何を捨てて、何を取り戻すべきでしょうか。
今後の日本の行く末を思う時、自然とともに生きてきた私たちの祖先に学ぶものがたくさんあるように感じます。