謹賀新年 秩父にて 平成23年1月3日
あけましておめでとうございます。新たな1年が始まりました。これからどんなことが起きるのか、世界の多くの命にとって、平和で良き年であることを祈るばかりです。
今年の正月は、関東の山村、秩父にて迎えました。
古き良き日本の香り懐かしい秩父の山々にあこがれて、17歳の時の晩秋、秩父の山々を訪れました。初めての単独登山でした。その後、登山のために何度となくこの地を訪れてきました。
そして今年、新年のスタートに、10年以上ぶりにこの地を訪ねました。
周囲を幾重もの峰々に囲まれたこの山村、秩父往還の峠道をたどると、いたるところに祠や石碑が佇んでいます。その光景こそ、高校時代の私があこがれて登山に魅せられた風景の一つです。
豊かな山々の恵みを暮らしに活かし、山々とともに生きてきた先人方々の名残が、この地の至る所に感じられるのです。人を郷愁で包み込み、そして心癒してくれる土地の空気とというものは、自然と人との息づかいの積み重ねがつくり上げてゆくもののように感じます。
奥武蔵らしいコナラやクヌギの雑木林と、尾根沿いに残るアカマツの木立。
こんな光景も徐々に失われつつあります。
秩父の山麓では、つい最近まで雑木林が暮らしに活かされてきたようで、いまも活力ある雑木林の生態系が随所に見られます。
つい半世紀前まで、雑木林は私たちの生活と切っても切れない結びつきがありました。
雑木林を7年から10年くらいのサイクルで伐採し更新させて、そしてその伐木を薪や炭など、生活のために欠かせないエネルギー源として利用されてきました。人の活動によるそうした収奪と更新のサイクルが、雑木林を維持してきたのです。
そして、大量の落ち葉は田畑の堆肥として使用され、その過程で痩せてきた山肌には今度はアカマツが優先してきます。そしてアカマツはかつての日本民家に欠くことのできない建築資材としての役割を果たしてきました。
人手の入らなくなった雑木林は老化し、生態系的にも貧相で荒れた状態の後に、その土地の潜在自然植生と呼ばれる、究極の自然林(極相林)へと徐々に移り変わってゆきます。そして、乾燥した痩せ地に優先しがちなアカマツも徐々に消えてゆきます。
今、日本の多くの雑木林は老化して、厄介な存在に思われがちです。生態系の乱れたこうした林は、都会周辺では多くの場合、極相林に戻る前に開発されてしまうようです。
私の尊敬する、ある植物生態学者は、人手をかけなければ維持されない雑木林はニセモノの森、と言います。それも一理ありますが、すべてではありません。
良好に管理された豊かな雑木林はやはり美しく、そして人と木々との美しい循環、それも見事に安定した自然の姿の一つだからです。
そして、ススキなどの萱場も人の活動によって姿を変えた自然です。日本の民家になくてはならない萱も、生態系の一員としての人と自然との関わりが生み出す産物のようです。
奥武蔵の山並み続く秩父往還の峠道。
太古の昔より山人の暮らしが営まれてきた秩父山中には、今もその暮らしの名残があちこちに刻み込まれ、そして息づいているようです。
さて、私自身、若いつもりでいながらも、そろそろ人生の折り返し地点を過ぎたことを自覚します。1年1年が矢のごとく過ぎ去ってゆきます。
自分のやるべき道、果てしない道ですが、今年も自分を活かしてみたいと思います。自分なりの奉仕、小さなものかもしれませんが、きっとそれでよいのでしょう。
今年すべきこと、これから自分がすべきこと、それらをはるか遠く仰ぎ見る時、今を生きる充実感に心身が満たされるのを感じます。
限られた命、自分の与えられた使命を受け入れて、命の限り生きてみたいと思います。
秩父放浪の旅、まだまだ話題はいっぱいなので、連載したい気持ちです。しかし、明日は造園打ち合わせのために長崎へ、そして明後日は神戸に飛びます。秩父の報告はもしかしたらこれで終わりになるかもしれません。