山行・旅

金峯山寺蔵王権現を訪ねて 平成22年10月29日

 雨のため、現場仕事が中止となった昨日、特別公開中の蔵王権現を訪ねて、奈良県は吉野山、金峯山寺へと向かいました。

ここは、「紀伊山地の霊場と参詣道」として、世界文化遺産に登録された吉野山。今も霊気あふれる山岳修験道の聖地として、その自然や信仰が守られ続けています。

 世界遺産、国宝の金峯山寺蔵王堂です。東大寺大仏殿に次ぐ、日本第2位の大きさを誇るこの堂宇は、神仏の香り漂う日本第一の聖地とも評される、吉野山中にその威容を見せています。
 私が修験道の修行参加のためにこの地を訪ねたのは2年前のことでした。その後、山伏修行のために、年に数回ほどこの聖地を訪ねます。
 日本誕生の地というべき奈良大和の大地を抜けて吉野にたどり着く、その過程がすでに修行の始まりとなります。
 「日本を知るためには吉野を訪れるとよい。」よく聞かれる話の意味は、この地を訪ねるにつれて次第に理解されることでしょう。
 ここは、役の行者(えんのぎょうじゃ)を開祖とする修験道発祥の地であります。修験道とは、いわゆる山伏の信仰で、自然の中に深く入り、自然を先生として尊び、自然と心を一体とするために山中で修行します。
 私も縁あって2年前からこの地で山岳修行に参加させていただいております。

 この蔵王堂のご本尊が、役の行者が感得した蔵王権現であります。平城京遷都1300年を機に、普段は決して見ることのできない秘仏、蔵王権現さまが公開されました。
 今回、この秘仏拝見のために訪れたのです。
 もちろん撮影禁止のため、蔵王権現様の写真はありません。高さ7m前後の日本最大の秘仏3体が、この蔵王堂に坐しています。
 秘仏を前に、拝見する人々はお経やご真言を唱え始め、その声は絶えることがありませんでした。そして、そのありがたさに心打たれて、また一人、そしてまた一人と次々に口から自然とご真言を唱え、お経を唱え始めます。
 
 神仏との出会い、誰しもに与えられるものでもないと思いますが、多くの人は縁があって信仰に出会う時というものがあると思います。私もしかり、やはり縁があってこの蔵王権現に導かれました。
 わずか100日間の秘仏の特別公開、寸暇もないほどの忙しさの中、どうしても見なければとの思い通じて、この雨を機に、訪ねることができました。
 こうしたことを蔵王権現様のお導きと感じる、こうした信仰を持てることを幸せに思います。

 もともと宗教音痴の私でしたが、宗派違えど信仰心厚い恩師方々友人たちとの交流の果てに、吉野の霊山が私の心の終の棲家となりました。

 縁というものは不思議なものです。20代の頃、私は禅の世界にあこがれて、禅の修行をしたいと思い続けました。
 修行を請いに禅寺を訪ねたこともありますが、なぜかことどとく縁がありませんでした。
後々考えると、私のような落ち着きがなく一所にじっとしていられない人間が、座禅に身を投じても長続きしなかっただろうと思います。

もともと山登りの中で自分探しを続けてきた私にとって、山岳を回峰し、自然の中に身を投じて真理を探究し、神仏自然と一体になることを目指す修験道は、私にとってしっくりとくる信仰だったのです。
 人はそれぞれの信仰があってよいし、もちろんなくてもよいと思います。しかし、信仰の本質は、大自然大宇宙の雄大さを敬うことではないかと思います。人間は傲慢になってはいけない。自分の力を越える自然を恐れ敬い、その中で自分の心を正そうとする、それが信仰の本質であるべきではないでしょうか。そして、それによって心の平安を得て、生かされていることに感謝し、その先に、世界の平和、人々の幸せのための祈りへつながっていくのでしょう。

 そして一人一人の敬虔な宗教体験から起こる良き想念が、形となって世界がよくなってゆけばよいのですが。良き想念をもてるよう、私もまだまだ修業しないといけません。

  自然と人間と神との共生、それが日本の風土でしか生まれえなかったであろう、修験道のよりどころなのかもしれません。

 霧立ち込める吉野の山々は、まほろばの世界です。日本はこの大和の地で始まり、そしてこの地には、日本の原風景と、神仏自然と共に敬虔に生きる日本の心が今も確かに生き長らえています。

 今回の吉野の旅、このブログであと2回ほど連載いたします。請うご期待。

 

 雑木の庭のことなら千葉県の高田造園設計事務所まで

株式会社高田造園設計事務所様

お問い合わせはお気軽に

千葉市にお住いの方で
造園の設計・施工、雑木の庭のことならお気軽にご相談ください。

ページの先頭へ移動