いのちのフォーラム 津波と森の防潮堤 平成25年3月18日
今、東北から千葉県までの太平洋岸の長大な海岸線に、高さ14.7m、幅90mものコンクリートの防潮堤が延々と作られる計画が実行されていることを、どれだけの日本人が知っていることでしょう。
東日本大震災での津波の最大高さは40mにも達し、絶対安全と言われた高さ10mのコンクリート防潮堤が全く無力であったばかりか、固いコンクリート構造物の崩壊による2次被害が被害をさらに拡大したという事実がありながら、またまた膨大な資源とコストを費やしてコンクリートによる安全神話を再生しようとする復興とは、一体何なのでしょうか・・・。
昨日、横浜市教育会館ホールにて、「津波と森の防潮堤~日本の海岸線を考える」とのテーマで市民フォーラムが開催されました。
左が国際生態学センター長の宮脇昭先生、左から2番目が海洋科学者で東京大学名誉教授の高橋正征氏です。
海と人と関わりの歴史から、分かりやすく紐解く高橋氏の講演からフォーラムは始まります。
豊富な事例や科学的見地に基づいた、大変内容の濃い講演の中、印象的だったのが、干拓における護岸工法の歴史的変遷についてのお話でした。
洪水や津波から生活環境を守るために行われる護岸工事、それがコンクリートによる工法が主流となったのは昭和に入ってからのこと、それ以前は江戸時代より数百年間、盛土植樹による護岸や、やや近代にいたっては自然石護岸だったのです。
コンクリート護岸は、いかにも頑丈そうですが、50年程度の耐用年数しかありません。
これに対して石積み護岸や盛土植樹による護岸の場合は半永久的に機能するばかりでなく、津波等の勢いを減衰させるという点でも、コンクリート護岸と比較にならない優位性があります。
今回の東日本大震災、日本一安全な防潮堤と言われたコンクリート擁壁も無力に破壊され、その安全神話を信じて堤防脇にまで密集していた住宅地は完全に破壊され尽くされました。
想定外・・とはなんなのでしょう。自然の事象に対して絶対安全とは、いったい誰が言えるのでしょう。
高橋教授は海と人との接し方の歴史から、上記の結論を導きました。
身近な自然の収穫の範囲で主に暮らしてきた明治以前と、産業が生み出す富に依存した社会へと転換していった明治以降との間に、人類としての考え方の一大転換があったと高橋氏は言います。
すなわち、自然の掟に従い、危険な場所にはあえて近づかないという、自然の中での人の分を維持しながら生き繋いできた時代、それに対して、近代の科学技術を駆使して自然を克服できるとの前提のもとで成り立つ今の時代。危険な場所は人力で安全にできるとの過信の時代。
高橋氏は、日本における環境都市計画の先駆者、池田武邦氏の著述の紹介で、講演を締めくくりました。
「自然現象は、私たち人類の歴史に比べれば、気の遠くなるほどの長い歴史を持っているのです。
いわんや記録が取れてからの年月など、問題にならないくらいわずかなものです。
そのきわめてわずかなデータで自然を図るということは、確率的に極めて低いものだということを、技術者はよほど認識しておく必要があります。
二百年というと人間にとっては長い年月ですが、自然現象から見れば極めて短期間のことです。
私たちはどんなデータに対しても、自然現象については、そのほんの一部のデータに過ぎないと考えるべきでしょう。」
(池田武邦 1998)
これが、先の震災の13年前の池田氏の著述です。本当に専門を突き進めば、こうした真理が共有されるはずであり、それが自然への敬意と怖れ敬いにつながるのでしょう。
想定外など言う言葉は自然への冒涜であり、なんという傲慢で視野の狭い愚かなことばでしょうか。
そしていまも、コンクリートで日本の海岸線をシャットアウトして牢屋を作り、津波を防げればよいという短絡的な発想が、実際に始まっているのです。
また、被災地における国際生態学センターによる詳細な調査によって、コンクリート構造物はじめ人工物の無力さに対して、その土地本来の木々の力と、津波などの自然災害に対し、木々を活かすことで暮らしの環境を守ってきた先人の知恵の素晴らしさが次々と明らかとなりました。
上記の写真はその一例で、周囲の新しい住宅が壊滅的な被害を受けた仙台市若林区において、古くからの屋敷林に囲まれた家屋は津波による流出を免れています。土地本来の木々が津波の勢いを減殺し、そして津波の後もなお、青々と木々の命を再生している、そんな事例がいくつも紹介されました。
しかしながら、こんなデータも実証も関係なく、巨大なコンクリートによる防潮堤が宮城県ですでに作られ始めています。
コンクリートの耐用年数は50年程度です。景観を壊し、海辺の生態系を破壊し、多大な資源を浪費し、そして50年後に膨大な廃棄物となる巨大防潮堤が日本の海岸線の多くを覆い尽くそうとしています。
そんな中でも、「もっとも大切なものはいのち」そう言い切り、その土地本来の森つくりによる緑の防潮堤を提唱する宮脇昭先生。
フォーラム主催者の一人、国際ふるさとの森づくり協会理事長の高野義武氏はこう言いました。
「東日本大震災後の日本の復興に当たり、私たちは1000年先の子孫に誇れる復興をしていかねばなりません。」
1000年先の子孫に誇れる仕事をしていかねばならない。またまた新たなエネルギーが体内に注入されてゆくのを感じます。