伊勢神宮が伝えること 平成28年3月6日
日本あけぼの、神話時代から連綿と続く神々しい世界の名残が今も感じられる伊勢神宮。
今もなお、毎年1000万人前後の参拝者が訪れる、日本第一の祈りの地であり、日本人の心のふるさとであり続けています。
これほどの参拝者が訪れるのは、神宮1300年の歴史を通してずっと変わることなく続いてきたことのようで、例えば江戸時代文政三年(1830年)の記録では、3月から9月までの半年間で約450万人の参拝者があったと伝えられています。
馬にまたがるか、あるいは歩くほかに交通手段のない時代でありながら、年間数百万人もの参拝者たちが毎年全国から大挙してきたという事実、しかも当時の人口が3千万人程度だった時代のことですから、伊勢神宮が日本人の魂にとって、その中心たるものであり続けてきたかが感じられます。
参道を歩きながら、触れることができるほどのすぐそばで、樹齢数百年の巨木が点在する神々しいほどの荘厳な自然環境に触れることがほとんどできない今のような時代こそ、伊勢神宮の杜はその存在の意義を今後ますます増してゆくことでしょう。
これほどの人の往来を、1000年以上の間、受け入れ続けてきたにもかかわらず、自然の息吹を神として敬い守り育てながら、その中に人の営みを共存させてゆく、そのことこそ、この地が伝えようとしてきた根本的なものなのだと感じさせられます。
自然環境を傷めずに育てながらなお、人の営みをそこに保ち続ける姿勢と技、人の営みが豊かに持続するために、絶対的に必要な根本たることを、この伊勢神宮は20年ごとの式年遷宮という形で現代に至るまで伝えようとしてきた、そのことを私たちは、しっかりと知る必要があるように思います。
伊勢神宮という日本最高峰社殿における唯一神明造と呼ばれる建築様式。そのもっとも大切な点は、全ての社殿が柱を大地に直接埋め込む掘っ立て構造にあります。
現代建築の世界では、掘っ立て構造の建物などもっとも原始的とされ、大地に多大な負荷をかける一時の頑丈さばかりのコンクリート基礎構造以外はほとんど誰も考えない及ばない、そんな時代にあってなお、世界に誇る日本最高社寺の式年遷宮を通してこの構造をかたくなに伝えようとしてきたのです。
伊勢神宮が掘っ立て構造である意味は、大地との共存、足元の環境に対して配慮を欠かさぬという、あるべき姿勢が永遠に保たれることへの祈りが本来込められているのでしょう。
それはまるで、母なる大地、自然環境を大きな力で踏みにじって顧みることもない今の日本を見越して、神々が息づいていたはるか昔の日本からの警鐘のようにも感じます。
でも、今、我々の社会はそんな大切な神からの警鐘さえも聞く耳を失ってしまいつつあるようです。
なぜ、式年遷宮という大規模な建築造作が20年おきに、しかもこれほどの参拝者を1000年以上も迎えつづけながら、精気を持つ森を社殿のすぐそばに保ちえるための配慮や造作の名残を見ていきます。
都会に勝るとも劣らないほどの多くの人の往来を受け入れながらも、伊勢神宮の素晴らしい環境が今日に至るまで守り伝えられてきたのは、この地を敬い、自然を敬い、神を敬う崇高な先人たちの絶え間ない観察と愛情と努力があったということが、境内の様々な造作から感じられます。
それは特に、参道周辺の造作から感じられます。たくさんの往来による激しい踏圧のかかる参道は縁石によって区切られてやや高く、段上に配されます。そして、周辺の森との縁にはこうして素掘りと石積みによる溝が切られ、参詣による締固めの悪影響が周辺環境に及ばぬように配慮されているのです。そしてこの溝には絶えず杜からの絞り水が湧き出し、そのことによって土中の水と空気を絶え間なく動きます。
溝に集まった湧水は、溝の中の小石の合間をはねながら流れ、そして多くは土中に潜り込んで大地を潤してゆきます。
宮域において、人の造作や往来のインパクトが及ぶ場所には必ず、円滑な大地の呼吸をつぶしてしまうことのないように、絞り水の通り道・浸透溝が確保されています。
それが本殿前の主要な参詣道の下にもくぐらせている様子に、先人による自然環境への徹底した配慮と理解と智慧が伝わり、心が震える思いです。
山の縁にもこうして、人の踏圧が山の呼吸を乱すことのないように、きちんと溝が切られます。
これこそが、これほど多くの人が1000年以上もの間訪れておりながらもこれほどの精気を伝える杜を残してきた、その要の所作とも言えるでしょう。
起伏があれば、山から谷に向かって水は土中を常に動きます。
そしてそれが土中の通気を促し、様々な土中生物活動を豊かに育み、そして木々が健康に根を張ってゆく環境を豊かにしてゆくのですが、斜面下の平地で行われる人の所作や負荷によって平地での土中水の動きが滞ると、斜面の土中の水と空気の円滑な動きをも阻害してしまいます。
そうなると、もともと健全な環境下で生育してきた草木は呼吸が妨げられ、森も木も、そして生態系全体も、人知れず急激に劣化していきます。
人間を含むすべての生き物は、水と空気の流れを通して息づくもので、それが短時間であっても滞ってしまえば死んでしまうのと同じく、自然環境が息づく根本たる必要条件こそが、大地の円滑な水と空気の動きなのです。
どんなに時代が変わろうと、普遍的で失ってはならないもの、大切なもの、その本質を、式年遷宮に伴う大工事において、かつての賢人たちは未来永劫の子孫たちに対して伝えようとしてきたことが、しみじみと感じられます。
しかるに、ここ伊勢神宮では、我々の存続の母体である自然環境そのものを神としてうやまい、それが決して抽象的な概念にとどまるのではなく、こうして遷宮に伴う大工事や様々な年間行事を通してなお、周辺の環境を悪化させることなく、人の営みをつつましくそこに割り込ませていただくための、大切な配慮を尽くしてきた、そのことを無言のうちに伝えてきたように感じます。
道沿いの杉の大木。その背面にきちんとした溝が掘られているのですが、それだけでは足りないと判断したのか、手前側にも溝を掘って、根回りの大地の呼吸を促そうとした配慮の跡がみられるのです。
手仕事の魂を感じる溝の造作は、愛情を絶やさぬ観察の賜物なのでしょう。
形式や形にとらわれず、木々との対話によってその時すべきことをするという、本来当たり前の素晴らしい姿勢、そんな先人が連綿と保ち続けてきた自然との向き合い方によって、これまで1000年以上もの悠久の時を超えて、この地の自然環境を良好に保ってきたのでしょう。
そして、外宮の杜の絞り水は本殿前の御池にあつまり、浸み込み、流れていきます。
しかしながら、今はその水は濁り、滞り、いのちの気配を失いつつあります。
伊勢神宮外宮の杜の要の地、つい近年までの、ここは森の瞳のような透明な泉だったことでしょう。そうでなければこれほどの森が今に残っているはずもないのです。
地下水の汚染はその土地の環境の指標であり、そして淀みは自然環境の劣化をの兆しの警鐘となります。
水は健康な大地に潜りこみ、そしてまた湧きあがりつつ、絶えず動いていれば淀むことはありません。土中や水中に送られる新鮮な空気が様々な微生物や菌類の活動を促し、そして数えきれないほどの生き物たちが浄化してくれるのです。
庭園の池泉においても、お城の堀においても、今はいつも淀んでいる光景がほとんど当たり前のようにになってしまいました。
これは人が少しずつ、あるべき道を踏み違えてきたことを自然界が明示しているのですが、こうした変化に気付く人も少ないのが現実のようです。
時代が時代ですので仕方ないことですが、だからこそ、多くの人に、我々の生存の基盤が限界を超えて息詰まり、そしてそのことすらほとんど顧みられることもないようです。
宮域参道の脇の白濁の汚染水。セメントのアクが、大地に吸い込まれて浄化されることなく、淀んでいます。
杜の縁だというのに、浸透性は悪く、大地の泥詰りによる土壌の硬化、劣化が進んでいることが分かります。
現代土木の世界では、こうした些細な変化を、「たかが泥水程度」と一顧もせずに見過ごされてしまいがちですが、この、水脈上重要な場所での濁り水が、徐々に周辺広範囲の大地の呼吸を詰まらせていき、そして木々や生き物たちが健康に息づける元環境を著しく劣化させてしまうのです。
参道沿いの水路、これも、石の敷き方、水の濁り方から、ここの遷宮において新たに行われた工事であることがすぐに分かります。
工事現場の汚水のような白濁の水が大地を行き来して浄化されることなく、この日本の根本霊場とも言うべき伊勢神宮の環境を巡っているのです。
参道と水路、遠目では同じように作られたように見えても、その構造も姿勢もまったくかつての伊勢神宮が誇るものとは違っているのです。
道の踏み固めによる悪影響を緩和し、さらには周辺環境に影響を及ばさないようにその両脇に設けられた水路は、この土地の環境の大切な呼吸孔であって、参拝する大勢の人の踏圧が大地の呼吸を妨げることのないよう、そんな大切な目的を持って設けられました。
それが今、形ばかりの浸透しない水路を浸透せずに流れる水は大地によって浄化されず、この環境がすでに浄化能力を失ってしまったことを現わします。
そして、細かな粒子を含んだ泥水は浸透せずに集水され、そして無機質なパイプを通してそのまま、排水され、川や池を汚していきます。
ここでながれるセメントのアクなどを含んだ泥水は、流れ込む先の川底においても泥詰りを起こし、ますます吸い込まなくなるのです。その結果、川底は嫌気化し、浄化作用を失い、そして洪水時にはその水位調整機能おも大きく損ない、人にとっても危険で不健全で住みにくい地域へと知らず知らずのうちに変貌させていきます。
本来の伊勢神宮は、自然環境を傷めるそんな文明の在り方に対して永遠の警鐘を鳴らすべく、気づきの機会としての式年遷宮や年間のたくさんの行事が欠かすことなく執り行われてきたのですが、そうしたことが今、形ばかりのものになってしまっていることに気付かされます。
宮域林の地滑り。道の締固めと水路の不透水化の影響で、斜面にいたるまで土壌構造が劣化し浸透しなくなった大地は、常に表層が滑り、土壌深部が通気不良に陥り、木々も下草も衰退してしまいます。
参道沿いだけでなく、人間活動の影響を受けやすい周辺の森の中の谷筋にもこうして、土中の通気浸透を促す水の道が掘り下げられ、そして石積みによってその地形を守っています。
こうしたことから、参道沿いの水路が本来、単なる人のための道の排水が目的なのではなく、土中の水と空気が滞ることによって草木が、そして土中の生き物たちが健全に息づく元環境を守り続けるという明確な目的が垣間見えてきます。
人の営みが永続するために、周辺自然環境、一木一草にいたるまで息づかせてゆくことが不可欠であるという、人類普遍の戒めを伝えてきた伊勢神宮、ここが日本第一の根本社寺であり続けた理由はきっとそうした部分にあるのでしょう。
外宮境内、石段を上ってひときわ高い小山の上に建つ風宮。
風の神様を祀り、五風十雨の順調な巡りを祈るこの別宮の周辺の木々も痛んで精気を失い、まるで公園に建つ宮モデルのようで人に畏敬の念を感じさせる荘厳さも、今はありません。
こうして見ると、今は単にお宮の形ばかりを20年ごとに建て替えるばかりで、その本来の大切な意味が全く失われてしまっていることが感じられてしまうのです。
風宮の遷宮に伴う工事用資材搬入路とされた谷筋はもはや呼吸を失い、地表は荒れ、そして周辺の木々も痛み、森の精気を奪ってゆきます。
表面上、形ばかり元通りの谷に戻しても、失われた大地の呼吸環境は戻りません。人が人の都合で荒らした以上、人の手を持ってきちんと優しく、大地に心を向け、手を伸ばすことが必要で、かつての伊勢神宮では確かにその心、配慮があったのですが、悲しいことに今はそれが薄れていることが今回の踏査で痛いほど感じられました。。
そしてここは社務所周辺の傷んだ高木。数百年と息づいてきた木々も、元環境の劣化によってこうして数年を経ずして病み、痛んでゆくのです。
それに対して、単に傷んだ一本一本の木を治療するという短絡的な発想ではなく、どうして木々がこうして急速に傷んでしまったのか、我々の所作に何か過ちがなかっただろうか、そう考えることこそが大切なことのように感じます。
近年、伊勢神宮境内に新たに建てられた社務所は、伊勢神宮が本来、境内の全ての建築において掘っ立て構造を硬く維持し伝えてきたあり方に対する敬意も畏れもなく、通常のコンクリート基礎構造で、伊勢神宮境内に建てるすべての建物とは、何の脈絡もない建築。そして背面の木々、ご神木たちは痛み、見るも無残な状態となり、劣化はますます進み続けています。
「人の営みと息づく周辺自然環境の調和と共生」 そんな、神宮が伝えてきた大切ことが全くおろそかにされて顧みない、そのことがこうした、今の人間中心で自然環境は付属物であるかのような、今の伊勢神宮のちぐはぐな営みに現れます。
なかでも、急速な劣化が最もひどいのは、今回の遷宮に伴い、神宮の森の環境を1000年以上の長きにわたってその周辺の森と共に守り続けてきた勾玉池周辺に、その環境を踏みにじるかのように建てられた鉄筋コンクリートの遷宮記念館とその周辺です。
豊かな杜の麓の豊富な水脈を無視して大地に多大な負荷をかけて整備された記念館周辺の木々は数年を経ずして痛み、枝枯れし、見るも無残な殺風景な光景が広がります。
神宮の歴史に対して何のゆかりもない現代の加工石材量産品を用いた園路、周辺の木々や土、環境に対する何の配慮もなく、ただ建築者や施主の自己満足によって構成された園路の脇の土は乾き、硬化し、ここが本来しっとりとした環境を必死に守り伝えてきた伊勢神宮境内でやることとはにわかに信じられない思いに、悲しみを通り越して絶望感すら覚えます。
木々の呼吸を無視し、見た目ばかりの浅はかなデザイン、負の遺産ばかりが増え続ける現代、そのことを、急速に痛み枯死してゆく木々が身を持って語り続けているように感じます。
今の伊勢神宮は、かつての偉大な智慧と共に、現代文明の在り方をも、今の私たちに強烈に語りかけているようです。
今、方向転換しなければ、我々の未来はない、そんなことを伊勢神宮の木々達や、急速に衰えてゆく自然環境が必死に語っている、今回の神宮踏査はそんなことを強く感じさせられました。
近い未来、伊勢神宮境内の神々しい精気は消えてしまうかもしれません。その時はもう、この環境は人に蘇生の力を送り込む力を失い、そしてこの神宮に訪れる人も知らず知らず減ってゆくことでしょう。そして、また我々は大切な価値を失っていきます。それはそのまま、今の国土全体の反映でもあるということを痛く感じます。
最後に、いまから100年以上も前に足尾鉱毒事件と闘い続けた田中正造の言葉を下記に紹介して、正月の伊勢神宮踏査報告を締めくくりたいと思います。
「世界人類の多くは、今や機械文明というものに噛み殺される。
真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず 村を破らず、、、・」
田中正造没後、今年で103年目を迎えました。