日本の森林を考える 平成23年12月4日
3日間続いた冷たい雨が開けた快晴の今日、事務所のモミジの紅葉が青空に美しく輝きました。
温暖化と気候不順の影響からか、南関東地域の紅葉の色合いが全般的に良くない中、今年も事務所のモミジは美しく紅葉してくれました。
コナラやクヌギ、ケヤキなどの下で守られた事務所のモミジは、ゆっくりと堅実に成長するがゆえに、急速な温暖化の時代でも、今のところはまだ、放置していても健全な生育を続けています。
近年の生態系の破壊に伴って増え続けているイラガやカミキリムシの被害も、私の事務所の健全な庭では、その被害は全くありません。
これからの時代、人類も植物も経験したことがない程の、急速な気候変動の時代を迎えることでしょう。
これからの時代を生き抜いて、地球に貢献できる木々の在り方、植栽の在り方を考える時、身近な木々が教えてくれるたくさんの知恵が、私たちに多くのヒントを与えてくれる気がします。
東京都西多摩郡檜原村、田中惣次さんという林業家がいます。東京都で、40年以上にわたってひらすら林業家として山を守り続けている信念の人です。
私は学生時代、田中さんの生き様に惚れ込んで、大学を1年間休学し、田中さんの家に住み込みながら半年間の間、山仕事のお手伝いをさせていただきました。
昨日、田中さんの新刊を購入し、一気に読破しました。
20数年前の当時、知床の原生林伐採問題が世論を動かし、健全に日本の森を守ってきた林業家までもが、自然を破壊する悪者として非難された時代でした。
実際には、持続的で豊かな山村文化と生態系を守ってきたのが日本の林業家たちなのです。
田中さんはそんなおかしな時代の中でも一時もぶれることなく、信念を持って山仕事に励み、都会の人たちを山に案内し、林業の大切さ、山の大切さを伝え続けてきました。
今は全国に広がった森林ボランティア活動の発祥の地のなったのも、この檜原村の田中さんの精力的な活動が発端となって広がったことなのです。
高度成長期の東京で林業を続けることがどれほど困難なことだったか、田中さんの20数年来の生き様に接してきた私には、感激と涙を持って感じ入るものがあります。
この40年間というもの、戦後の復興の過程で国民総出で植林された世界に誇る日本の人工林が、衰退と荒廃の一途をたどった時期と言えるでしょう。
今から47年前の昭和39年、木材輸入にかかる関税が撤廃されてからというもの、世界の山林を収奪伐採して持ち込まれる安価な輸入木材に押されて、日本の林業は壊滅的なまでに衰退し、そして山の働き手は職を失い、山村は荒れ果てていきました。
今の日本の繁栄があるとすれば、それは豊かな国土とそれを支えてきた第一次産業を犠牲にした上での、持続できないまやかしの高度成長社会であったと言えるでしょう。
日本は国土の67パーセントが森林です。フィンランドに次いで世界2位の森林大国です。その日本が、自国の森を荒らして、実に木材消費の80%を海外の安価な木材輸入に依存しているのです。
そうしている間に山は荒れ、そして持続的な暮らしも文化も生き方も節度も、我々の祖先が築いてきた日本人の素晴らしさをあっという間に失ってしまったのです。
これから迎えるTPPの荒波、世界の中の日本を思う時、大国の脅迫を退けることなど、日本のような弱小の敗戦国家として決してできないことくらいは、職人の私にもわかります。
しかし、このまま何もしなければ、日本の文化と共にあった稲作も、衰退の一途を辿ってしまった日本の林業と同じ運命をだどりかねません。
さて、今私たちはどうするべきか、国家としてではなく、身土不二の一人間としての原点に返り、子供たちの生命と健康と幸せを願う素直な思いこそが、私たちにかろうじてまともな知性と勇気と節度を授けてくれるのではないかと思います。
時代の変遷に微動だにせず、ひたすら日本の山を守り続ける田中さんの生き方考え方に、いつも私は勇気づけられてきました。
わずか半年間でしたが、若い頃にその影響を受けた弟子の一人として、私もゆるぎない人生を正しい世のために捧げることができればと、決意を新たにしています。
我が事務所の地表を覆う雑木の落ち葉が、晩秋の柔らかな日差しの中で感慨深い景色となって心にしみこんできます。