雑木の空間作家 深谷光軌の外空間 平成22年8月29日
都内で開かれたセミナー参加のついでに、京王プラザホテル4号街路空間を訪ねました。
ホテルの街路側のエントランスは、もともとそこにあったような雑木空間の奥に佇んでおります。
新宿駅西口から都庁へと続くプロムナードに面したこの街路空間は、時代を先取りした稀代の屋外空間作家、深谷光軌氏によって、1977年に造られました。
ロビーフロアのラウンジに面した街路空間です。生き生きとしたスケールの大きな、都会の自然空間がここに現出されています。
ヒューマンスケールを大きく超越した高層ビルの下にありながら、雑木の木立に囲まれたこの街路空間にいる限り、その視界からは周囲のビルや道路などのすべての人工物も、スケールの大きな自然空間の中に溶け込ませてしまうほどの力を感じます。
この街路空間から上空を見上げると、雑木の樹冠越しに、東京都庁の頭が垣間見えます。
圧倒的な自然樹木の力の前には、都庁のような強い存在感を持つ高層ビルも、自然樹木が作る豊かな空間の中でその威圧感は緩和されて、都会の森における風景の要素として、違和感なく調和させてしまうようです。
雑木のプロムナード越しにホテルのラウンジが美しくなじんでいます。自然空間と人工空間との共鳴というべきでしょうか。
深谷光軌は都会の空間において雑木主体の自然空間をなじませるための、空間的な余白の取り方が非常に巧みです。
彼の作る外空間にはメリハリがあり、圧倒的な樹木に覆われながらも、空間の広がりを息苦しくつぶしてしまうということは決してありません。
今年、この稀代の外空間作家、深谷光軌氏の13回忌を迎えました。
深谷光軌は、日本庭園の歴史の中で積み重ねてきた自然を取り込む手法を、いわゆるランドスケープの世界、街づくりや都会の人工環境の中に活かすべく発展させた、稀代のアーキテクトでした。
本物の雑木自然空間を、都会の環境つくりに現出させようとした彼の思考のスケールは桁違いに大きく、従来の造園という枠を遥かに超えた存在だったと、私は認識しています。
造園世界のスケールを超越した空間作家であるがゆえに、彼は存命中、多くの造園関係者たちから大変に嫌われていたようです。
また、彼自身の厳しく激しい性格ゆえに、常にトラブル話も絶えることがなく、今でも彼と共に仕事したことのある、私の同業者の口からは、彼のトラブル遍歴がいくらでも聞かれます。
まるで自然空間の中にいるような街路空間です。それでいて、写真右側大通りの歩道と違和感なく繋がっています。
深谷光軌はそれまでの造園家を超越した存在だったと私は思います。彼は常に、自分が造園家と一緒にされることを激しく嫌がっていたようです。
「私は造園家ではない。一緒にしてほしくない。私は絶対に造園の人間を使って外空間をつくらない。普段庭を作っている人たちに作業を依頼すると、いわゆる庭になってしまう。たとえば木を植える場合は、林業に携わっている人に植えてもらう。」
深谷光軌のこの言葉こそ、彼の性格や思想を端的に表しています。
彼は自分の作る屋外空間を「庭」とは言わず、「外空間」と呼びました。そこに彼の激しい心意気が感じられます
おこがましいようですが、私自身は、今は亡き深谷光軌の生き方考え方に、心底から共感しています。彼は、時代を先駆けました。
今だ時代は、彼のランドスケープや屋外空間つくりの先進性に全く追いついていないと、私は感じております。
多くの造園家や作庭者は今だ、「庭」という決められた空間における造形や意匠、雰囲気作りの競い合いから抜け出すことがありません。
こんな、作庭界の現状は時代遅れもはなはだしいと感じている人は、きっとたくさんいらっしゃるでしょう。
現代という時代、私たち屋外空間のアーキテクトには、自然の力を上手に生かして街の環境や住まいの環境をよくするという使命があるはずです。
しかし、深谷光軌の死後十数年を経た今もなお、多くの作庭者は庭という狭い世界から脱却できずにいるように思います。
そのため今の日本では、街の景観をつくるランドスケープの分野は、建築分野の人たちによって主導されるようになりました。
それも一つのあり方であることは認めます。しかしながら、建築分野の方や、自然を本当に熟知していない都市計画者の視点は、デザイン要素として緑をとらえる傾向が強く、どうしても画一的で、一定の「面」や「点」としての人工的緑地の作り方に偏りがちに思います。
自然が私たちの身近に豊富にあった時代、あるいは自然豊かな環境下では、そうした街環境つくりのあり方も、一定の価値があることでしょう。
しかし今、多くの人が生活する身近な環境から自然がなくなっていく中、街に自然を再生して、豊かな環境の中に街を包みこむという発想が必要なのではないかと思います。
自然の効用、樹木の効用や性質を熟知する私たち造園家が、街つくりや住環境つくりに貢献してゆけるように脱皮していかねばなりません。
いつまでも建築の付属物として庭をとらえるのではなく、建築物を含めた街環境つくりの一角を担う仕事こそ、私たちの務めであるという気概を持たねばいけません。
京王プラザホテル4号街路空間と、隣接道路を緩和する街路の雑木林です。違和感なく、都会の日常的な風景とつながっています。
深谷光軌の外空間、そこには現代の街つくりに対するたくさんの警笛があり、同時に未来への道しるべがあるように思います。