施工後、新緑の庭をめぐって 平成28年4月30日
本日、メンテナンスに訪れた、茨城県鹿島市、Yさんの庭です。竣工後丸2年が経過し、いよいよ森の様相を深めてきました。
ひんやりとした空気感も昨年までとは違い、一歩庭に入ると涼しく爽やかな風が心地よく、いつまでもそこに居たくなります。
私の植栽は住空間の中に樹木を群落単位で点在させていきますが、2年前、ここでは高木の根元に、様々な苗木を混在させて植えました。カシ、コナラ、シイノキ、エノキなど、みんな大きくなる樹種ばかり、まるで自然林での林床の芽吹きのように植えたのです。
「これ、どうなるんだろう。」
植栽当時、興味深げに観察していたYさんの様子が面白く思い出されます。
それが今、力強く競合し、共生しながら、まるで山奥で朽ちた倒木の上でたくさんの実生が芽吹き競い合って伸びる、そんな光景を彷彿とさせます。
庭で感じることのできる力強い自然の営み、伸び伸びと育つ木々の濃い緑に大きな力をもらいます。
私の庭では、できるだけ管理しすぎることなく、野生の木々本来の力を発揮させて伸び伸び育てたい、その理由は、こうした健康な木々が人に与えてくれる無限のエネルギーと幸せ感にあります。
庭つくりの時はまだ赤ちゃんだったYさんの息子、イチロー君も、たくましい顔つきの4歳の男の子になりました。
作った庭を訪れる楽しさは、成長する子供達との再会の喜びが大きいものです。イチロー君は庭作業する私たちのまねをして、頭に手ぬぐいを巻いて、庭の中や外をちょこちょこと動き回ります。
「休日はいつも一日中庭に居る、庭があれば連休もどこにも行く必要がない。」
Yさんはそう言って、休日の今日も日がな一日、庭で子供たちと一緒に過ごします。
新緑まぶしい今の時期は、一年の中でもっとも美しい時期かもしれません。
日ごと表情を変える木々の息吹を感じていれば、飽きるということなどありません。
Yさんの庭の一角に設けた20㎡ほどの菜園は、いまや子供達の土遊び場となりました。
子どもが生まれる前、あれほど熱心に週末菜園に熱中していたYさんも、野菜つくりをお休みして、菜園スペースの全てを子供の土遊びとして明け渡したのでした。
今はなかなか土を自由にいじる場所もないせいか、近所の子供たちもここに土いじりに来ると言います。
「子供が小さなうちは、庭なんぞ作り込んではいけない、掘ったり植えたり、子供が好きに触れ合えるような、そんな雑多な雰囲気がちょうどよい。」
そんな私の庭への想いも、Yさんの庭やその暮らしを見るにつれて、ますます思いを強められます。
子供がわくわくと楽しめる庭、子供の五感をときめかせる場所、、、、そんなものを求めているうちに私の庭は、里山自然環境やかつての屋敷林のある暮らしの環境としてのニワとの境界線がますますあいまいになり、溶けてゆくようです。
日当たりのよい木の枝に干された子供の服。それをぼんやりと眺めていると、新緑のまぶしい緑の美しさと相まって、とても幸せな気持ちに包まれます。
限りある人生、その中で子供と過ごす幸せな時期というものはあっという間に過ぎ去っていきます。だからこそ、心地よく優しく、生き生きとした緑に包まれた家庭での時間を大切にしてほしいといつも願うのです。
縁側に子供の靴が並び、そして木の枝につるされた小さな服、そんな光景がどれほどかけがえのないものか、手入れに行くたび成長してゆく子供たちを見て、いつも想うのです。
そして今日、2件目に訪れたのは、ついひと月前に造園工事完了したばかりの保育園、野草舎森の家です。焼き杉の木柵や木戸、そして現地の土を塗った土壁の門塀も新緑の中になじんできました。
植えたばかりの木々は今後、必要以外には手を入れることなく、この園舎を心地よい森の環境へと育てていきます。
数年後には濃い緑の中、庭全体に夏の木陰が広がることでしょう。
2か月前に植栽したばかりの木々ですが、昨日の大風にも倒伏しない、力強い根の張りを見せてくれていました。
私の植樹は基本的に支柱は施しません。また、樹木の深植えも今は決して行いません。
倒伏防止のために心がけていることがあるとすると、植栽樹木の根が早い段階で健全に伸びてゆくよう、下地土壌の通気性には格別の手間を施しています。
土壌の通気性と浸透性、それさえ心がけていれば、植栽後、わずかひと月もたたないうちに木々の根と根が絡み合い、台風にも倒木しない健康でしなやかな樹木群落となるのです。
また、自然林での樹木群落のようにその土地においての相性の良い樹種による密植混植の効果も
土壌の通気浸透性改善造作による木々の根の生育環境改善の効果はてきめんに顕れます。
これは1年前に、つくば市内、水はけの悪い大型造成地において、土壌通気浸透改善・植栽した樹木群です。
本来この土地は7年前、もともとなだらかな起伏の畑地だった土地の地表をはぎ取り、重機で締め固められたこの大規模造成地は、宅地造成によって通気浸透性を失い、水は浸み込まず、そこに植えられた樹木はほとんどが生育不良の様相を見せていたのです。
そんな中、試験的な取り組みとして、造成地の一部、総延長約100mの街路において、我々の提案による、通気浸透改善・密植による植樹を1年前に実施したのです。
それに対してm道路を挟んだ隣地には、我々による改善植栽とほぼ同時期に、従来の方法で植えられた街路樹が並びます。この写真はその、従来型植栽によるものです。
大半の木々は枝先を枯らし精気もなく、根の伸長不良による生育不良の様相がすでに顕著に表れていました。
普通に木を植えてもまともに育たない、今、そんな造成地が全国で増え続けているのです。
一方で、土壌通気浸透環境改善の上で私たちの植樹した街路樹は、、2回目の春を迎えてますます葉数を増やし、枝先先端の葉も大方後退することなく、あたらな新芽を吹かせていました。
その違いはわずか1年余りで誰が見ても顕著に分かるほど、結果は明らかに顕れます。
根の呼吸環境への適切な配慮と造作がなされれば、どんな場所でも健全に木々を育てることができる、そのことを一つ一つ示し続けたいと思います。
現代の技術が置き去りにしてしまった大地の呼吸環境への配慮という大切な視点を忘れない社会つくりに活かされるよう、日々結果を示し続けていこうと思います。黙って結果を示し続けること、木々を、大地を生き返らせ続けること、それも今の私たちに与えられた大切な使命なのだと感じます。
そして先週には、埼玉県越谷市Aさんの庭の改修2期工事が終了しました。
家周りのコンクリートを剥がし、アスファルトを剥がし、そして土中環境改善の上での植樹です。
30年もの間、アスファルトの下敷きになって死んでしまったような土壌環境でも、適切な改善措置によって呼吸する大地、木々が健康に育ってゆく環境がよみがえります。
旧家の広い庭の中に、2か所の大きな穴を掘り、そして取り外し可能な木蓋をかぶせた場所を設けます。
ここが、この庭の土壌環境改善の要となる、大地の通気孔となるのです。
ここに集まった水を水中ポンプでくみ上げて庭や畑の灌水に使うのですから、ある意味この呼吸孔は、浅井戸の役割をも兼用します。
約2mほどの深さの穴には、雨が降る度に水が集まり、そして水位は日によって上下します。
掘った直後の穴の側面は、地表から1mほど下の位置から青くグライ化した水通しの悪いヘドロの層がずっと下まで続いていたのですが、穴を穿って2週間もすると、側面のグライはかなり解消されてくるのです。
そして、この水は常にたまっているように見えて、きちんと土層を通して動き、行き来していることは、水が腐らず匂いもしないことから判別できます。
穴を掘り、溝を掘って土中の水と空気を動かしさえすれば、土の中から土壌環境がおのずと改善されてゆきます。
そして、もっと言えば、深い位置で溜まった水を、支障がなく水が腐らない限り、これを無理に抜こうとしないことも大切なことと思います。
グライ土層、あるいは粘土層をさらに掘り進むと、通常きれいな砂、あるいは砂礫の層に行きつくことがよくあります。
通気浸透改善を、水を抜くことと考えると、ついその層にまで掘り進みたくなるものです。
その、水が抜ける層が、植物根の映える有機質土壌であれば問題ないのですが、清浄な砂礫層まで掘り進めることは注意が必要です。
その理由は、端的に下記の二つに集約できます。
ひとつめに、本来、降り注いだ水は大地の中で浄化され、貧栄養化した清冽な水となってから、深層水脈へと誘導されねばなりません。これを、劣化した土地において土壌浄化機能が回復しないまま、深層水脈へと流し込んでしまえば、それは浄化されず、ダイレクトに地下水の汚濁、富栄養化、そして深層水脈の汚染、詰まりという、まさに広域な自然環境全体に及ぶ環境劣化にも繋がります。
あくまで、劣化してしまった土地の源環境を健全に回復させ、そしてそれが持続される形でゆっくりと育てていく必要があるように思うのです。
もう一つは、土中の生き物環境を潤し、そして土中の空気を動かす水の役割というものがあります。本来、土中に浸み込んで動き、生きとし生けるものを養う水を、まるで排水するように深層へと流してしまうことは、本来の自然環境における健全なあり方ではないのです。
傷んだ大地、それでも適切な土中改善造作によって、木々がきちんと生育できる環境はある程度充分再生することはできます。
さらにその上で、本来のその土地の大地の力を取り戻したいと思う時、それは、自然の呼吸に合わせるように、時間をかけてゆっくりと改善させてゆくことも必要ということかもしれません。
そしてここは三日前、一部分の改修を終えた、千葉市内の庭です。
この庭の造園工事が竣工したのはもう14年くらい前のことになります。
粘土質の土は排水が悪く、植えた当初は生育不良の様相が顕著に見られたのですが、施工後から5年間くらいの間、毎年縦穴通気孔をあけては有機物資材を詰め込む、そんな改善作業を続けてきました。
その結果、いつしか木々は生き生きとよい表情を見せてくれるようになり、そして今、この小さな庭はいつも心地よい空気が流れる、別世界となりました。
今回の改修工事中。
それまでの広いウッドデッキを半分の幅に狭めて、そして生まれたスペースを整えるというものです。
14年前の当初、小学生だった二人の子供部屋が外で繋がる広いデッキを設けたのですが、子供が巣立った今、デッキを縮めて植栽スペースを増やし、より深く木々を感じて暮らしたい、そんな要望を受けての改修工事となりました。
写真はデッキを切り詰め、ステップを作りなおしたところです。
改修完了後。新たな造作14年前から育まれてきた庭の中に違和感なく溶け込ませていきます。
足元の配石中。
作った庭を後に手を加えて作り直すということ、そこには独特のむずかしさがあります。
それまで時間をかけてなじんできた庭の中に、新たな造作を違和感なく溶け込ませるということ、そのためには、既存の素材の佇まいやデザインを再びじっくりと考慮して、素材の取りあわせや収め方を考えていかねばなりません。
囲碁の碁石を打つように、敷石を打っていきます。
デッキ下足元造作・植栽仕上げ完了後。
新たに植栽したデッキ際の木々。
改修を終えて、庭は一段と美しく、心地よく充実しましたが、これが、たった今改修工事を終えたばかりの庭とは思えない、どこを改修したのか分からないほどの違和感のない収め方を期します。それも一つの、造園技術なのかもしれません。
そんな技と同時に、改修の際にはまた、庭の土中環境の変化を確認するという、この上ない楽しみもあります。
改修工事に際して、3か所ほどボーリングし、土中の状態を確認します。
14年前は20~30㎝も掘ると全く根の入り込めない粘土の地山だったこの庭の土壌は今や、70~80センチくらい下まで細根が到達する、膨軟な粘土質土壌に生まれ変わっていたのです。
年度の隙間を木々の根が広げていきそれによって空気と水の通りがよくなり、そしてそこに共生する菌類微生物は土壌の構造を変えていきます。
本来、砂質土壌よりも、水脈環境を保ちやすい粘土質土壌の方が、森林の源環境としては豊かなように感じておりましたが、一方で粘土質土壌は人為によっていったん、その中の血管のような水の道をつぶされてしまうと滞水もしやすく、土壌環境劣化も著しいものがあります。
ここも竣工時の14年前はそんな住宅造成地だったのです。
それを、木々の根の力、そして竣工後の継続的な土壌通気改善によって、土壌環境はここまで回復しえたのです。
こうした改修工事は、土中の変化を観察する、とても貴重な機会になります。
根の環境は刻々と変化し、土中のバクテリア、微生物環境もそれに応じて瞬く間に変化していきます。
これは細根分岐した、根のはびこる周辺に広がるグライ土です。ヘドロ臭があり、この環境が続けば根は生きつづけることはできないはず。
しかし、むしろこうした、粘土質土壌に点在して生じるグライ土部分に細根が集中している面白さ。こうした日々の観察がまた、土壌環境への理解を深めてくれます。
だから、この仕事は楽し過ぎてやめられません。
そしてここは、今年の1月に一期工事を終えたばかりの庭です。ここは砂地の地山を環境改善して植栽しました。
3か月が経過し、枝先の精気や木々同士の枝葉の伸び方重なり合いの様相から、木々の根はおおよそ順調に伸びていることが分かります。
木々は早くも家際のデッキに心地よい木漏れ日を揺らします。これから根の伸長と共には数を増やし、濃い木陰が夏の住まいを涼しく心地よく改善してくれることでしょう。
連休を明日に控えた仕事納めの今日、長いブログになってきました・・・。でも、この時期の庭は生気にあふれ、まぶしく美しく、その喜びを是非お届けしたいとの思いから、もう少し、ご紹介させていただきます。
ここは昨年秋に竣工した、つくば市Mさんの庭です。竣工後、半年余りが過ぎて初めての新緑の時期を迎えています。
この庭では、駐車場スペースを改善し、ノシバの種を播種したのですが、時期外れの播種でした。
それでも、播種後半年経過して温かくなった昨今、ようやくノシバの芽吹きがうっすらと確認できました。
ほとんど水も与えられず、乾燥しやすい駐車場にあって、ノシバの種はきちんと生き延びて発芽してくれたのでした。
この日は新たに炭と目土をまぶして再びノシバを播種します。梅雨を超えて夏までにはきっと、淡い緑が駐車場を覆ってくれることでしょう。
今は一年で最も清らかないのちの芽吹きの季節です。昨秋に植えたどんぐりも、一斉に葉を開いて競争を始めます。
播種後、2度目の春をトレイに密植状態で迎えた白ヤマブキ。
これをポットに植え替えます。
忙しい日々の中、何のためにどんぐりや種から木々を育てているのか、その理由は、単に楽しいからです。そしてとても学ぶものがあるから。
興味のある方は是非、木々の苗を育ててみて欲しいと思います。
いのちの神秘を常に感じること、そこは大きないのちの繋がりを感じる入り口にもなります。
そして、どんぐりも種も、野山に行けばただで手に入る上、子供でも楽しみながらできます。
庭がなくてもベランダでも、こうした木々の赤ちゃんを育てることができる、是非、皆様にも試していただきたいと思います。
事務所の庭とオンボロの愛車。12年前に植えた木々は伸び伸びと、いつも生きる力をもらっています。
いよいよ連休となりますが、九州の災害、そして今の日本や世界にかかる暗雲を想うと、やはり気は焦り、駆けつづけねばならないように感じます。
よい未来、安心できる平和な日本、平和な地球、そのために、学び続け、走り続けていきたいと思います。
感謝をこめて。連休後もどうぞよろしくお願い申し上げます。