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広葉樹混植密植による森つくりに想う。その1   平成25年12月10日

 先の日曜日、地球環境戦略研究機関国際生態学センター(センター長;宮脇昭氏)主催の連続講座研修会で、神奈川県内の環境保全林を巡りました。
 
 「環境保全林」とは一般的に、防災、防潮、防煙、防風、防音などの目的で、生活環境を守るために作られ、あるいは整備保全される森を言います。
 高度経済成長期の日本で深刻な公害が大きな社会問題となった1970年代あたりから、発電所や製鉄所など、主に大規模工場の外周などに「環境保全林」なるものが次々に設けられました。
 当時の環境保全林造営の一つの手法を主導された一人が、生態学者の宮脇昭先生であったことは言うまでもありません。

 宮脇氏は、その土地本来の気候風土において最終的に形成されるであろう潜在的な自然植生樹種に基づいて、植栽樹種を定め、それらの樹種のポット苗を1ヘクタール当たり30,000本~45,000本という超密植を行い、2年程度の除草管理の後、その後は間伐等も一切行わずに自然淘汰に任せて放置するという植樹方法を提案し、次々に実践されました。
 これまで日本が伝統的経験的に培ってきた山林植樹の場合、植樹密度は1ヘクタール当たり3000本から6000本程度な上、その後、育成の目的に応じた頻度や強度の間伐を繰り返しながら育成してゆくという手法が通例であることを考えると、宮脇氏の植樹方法は革新的な方法だったことは間違いありません。
 この方法は通称「宮脇方式」と呼ばれ、今の日本国内での「ふるさとの森つくり」運動ばかりでなく、世界各地で実践されてきました。
 
 この植樹方法が、賛否両論ありながらも一定の広がりを見せてきた理由の一つには、宮脇昭先生の森つくりへの信念と目的意識が未来に持続する命を守るという、普遍的なところにあるという点と、宮脇先生個人の人柄とカリスマ性に起因する部分が多くあるように感じます。
 人類生存に不可欠な命の森を未来へと繋げるという、普遍的な目的のため、森の再生への手法をさらに発展させて、その場所に適した有効な森つくりの在り方をさらに深めてゆく必要があるでしょう。
 今後の森つくりの在り方を発展させてゆくため、今回の研修ツアーで感じたこの植樹方式の課題を整理していきたいと思います。

 長いブログになりそうです・・。今回は問題点の列挙に終始しそうですが、宮脇方式の批判ではなく、宮脇方式の今後の発展のための一つの意見としたいと思います。

 今回の研修会で初めに訪れたのは、東京電力東扇島火力発電所に隣接する緑道です。写真後ろが発電所の煙突です。
 工場敷地内には1970年代に宮脇昭氏によって造営された約6ヘクタールの環境保全林(グリーンベルト)があります。
 1970年代、工業地帯周辺の深刻な大気汚染に対して社会の厳しい批判が高まり、企業側の改善措置の一つとして工場周囲に環境保全林が設けられました。

 この当時、この保全林に託された第一の役割は、枝葉による大気汚染物質の吸着効果ではなかったかと思います。
 実際に、樹木を手入れしていると、都会の木々の枝葉には相当な煤塵が付着しています。しかし、汚染物質を含んだ煤塵は人にも有害であると同時に木々や他の生き物にとっても有害であることに変わりはありません。
 樹木の枝葉に汚染物質を吸着させて、大気汚染を緩和しようとすることは、本来の木々の活かし方とは言えず、本末転倒です。
 1970年代、工場や高速道路沿いなどの公害発生源の周辺に次々と環境保全林が造営された際、こうした木々の扱い方に対して当時、林学者の上原敬二氏が早々に問題視しています。
「公害についてはそれが発生しないように努力すべきことがまず第一に必要なことであり、植樹を公害発生の免罪符として使う環境保全林のあり方は少し違う。」と。

 ここでまず、考えねばならないことがあります。環境保全林とは、環境の何を守るものなのか、そしてこれからの時代、どのような場所にどのような目的で環境保全林が造営されるべきなのか、ということでしょう。

 私が小学生の頃、地元京葉工業地域の某製鉄所見学に訪れました。周囲にグリーンベルトがあり、これが工場の煙突から発生する大気汚染を遮っていると説明を受けたことを、今もはっきり覚えております。
 しかし、実際に、グリーンベルトよりもはるかに高い位置に、もうもうと煙を上げる煙突があり、グリーンベルトの緑が粉じんの遮断に役立っていないということを、子供心に感じたものです。
 30数年前、高度成長期の工場見学で感じたことを、この日の光景に思い起こされました。

 ただし、このグリーンベルトが無意味というのでは決してなく、こうした殺伐とした生産活動の場に緑があり、それによって小鳥が立ち寄り、そこに生き物が定着することに大きな価値があり、さらには緑の存在がどれほど人々を視覚的あるいは心情的に和らげていることか、その効果は計り知れないものがあります。
 木々や植物によって癒されるという感覚は、人に残されたとても大事な感性であり、本能でもあります。
 木々に触れ合い、その時に感じる好印象が人々の心に刻まれることも、人が自然との関係で大切なことを忘れないために必要なことで、だからこそ人の暮らしの身近なところに緑が必要で、同時にそれが防風防潮、ヒートアイランドの緩和など、知らず知らずも生活環境改善に資するのですから、どんな場所にも森という形で命の拠点を保全することは必要なことと言えるでしょう。
 
 結論から先に言いますと、工場や都市など活動圏に森を作るということの意義は、未来のための生き物、土壌の生育環境の保全という目的が、今は大切なのではないかと思います。
 森は時間をかけて豊かな土壌を育みます。そして飛来して定着する生き物がさらに豊かな森の構成員となります。
 今後の人間活動や開発において、未来のための命の源である大地を少しでも多く残し、未来へ繋ぐことが、今を生きる私たちの最も大切な使命なのではないかと、今の時代だからこそそう思うのです。

 さてここは発電所周辺の緑道で、ここは地元ロータリークラブによる6年前のポット苗植樹です。
土壌が悪く、地下水位が高い埋立地の悪条件下での植樹ですが、6年経って樹高3m程度の小樹林となっていました。

 当時、シイ、タブ、カシなどの常緑広葉樹を主体に、20種類以上混植して植えられましたが、6年経ってすでに環境不適合による樹種の淘汰が進んでいました。
 もっとも堅実な成長を見せて目立っていたのはヤマモモ、トベラ、シャリンバイ、そしてそれらの生長に圧迫されるように枯死が目立ったのはタブノキでした。
 
 植樹当時の目的は、川崎の海岸沿いの気候下本来の潜在的な主木であるタブノキを中心とした森を再生しようというもので、タブノキの比率が多く植樹されたと言います。しかし、肥沃な大地で徐々に成長して長生きするタブノキのような樹種は、埋立地のような土壌環境のもとで植樹後自然淘汰に任せれば、悪質な環境にも適応できる他の樹種に圧迫されて負けてしまうのは明白です。
 そして、ヤマモモもトベラもシャリンバイも高木樹種にはなりえないので、いつまでも豊かな立体構成の森には育ちにくい状態が続いてしまうことでしょう。

 その土地の気候下における潜在自然植生樹種ばかりで樹種を構成し、見た目だけの「極相樹種林」を作ろうとするのではなく、、埋立地や都会の開発跡地など、現代の荒廃した土地条件を踏まえて、荒れ地に先駆的に生育する浅根性の落葉樹種も含めて、最終的な森の成熟を長いプロセスで考える必要を感じます。

 この植樹方法のこれまでの問題点の一つに、日本の大半を占める暖温帯気候下でおおよそ同じような樹種構成で植樹されることが多い点、荒れ地の改良に有効な浅根性樹種、先駆樹種を積極的に用いようとしてこなかった点が挙げられるのではないかと思います。
 植樹場所の条件によって、もうすこし細かく、樹種、植栽密度、植樹の方法を考えてゆく必要があると言えるでしょう。

 ちょっと、この話題はまだまだ長くなりますので、また別の日に続きを書かせていただきたいと思います。

 
 

株式会社高田造園設計事務所様

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