修業時代の庭を訪ねて 平成26年4月21日
ここは東京都あきる野市、ギャラリー・懐石、燈々庵です。20年近く前のこと、築150年の朽ちかけた米蔵を改修し、庭を一新し、この地のこの古き建物に新たな命が吹き込まれました。
門をくぐるとそこは雑木林の中の石畳の道が庵へと伝います。この庭も、蔵の改修と同時並行で施工したので、植栽後すでに20年近くの歳月を経たことになります。
当時植えたコナラ達もあまり太らせることなく、今に至るまで管理されています。
この庭に実生として進入してきたケヤキやモミジなどが中木として彩りを添える様子からは、年月を経て自然と同化してゆく庭の時の流れを知らされます。
この庭の設計施工は当時私が修行していた金綱造園事務所。
親方の下でこの庭づくりに没頭していた当時、私はまだ造園業に就いて間もない25歳の頃でした。
今思い返しても1日1日がかけがえのない日々の連続、それが修行中という、人が一生のうちに何度も味わうことのできない貴重な時間。
足元の石畳を見るにつけ、夢中で石を叩いた当時の日々をはっきりと思いだします。当時の経験のない私にも石を畳む経験を積ませてくれた師匠の恩。今見返しても、自分がどの石を据え、どこで苦労したか、当時の心境が20年の歳月を経てもなお、ありありと思い浮かぶのです。
私にとって原点回帰の庭がこの庭です。若い頃の熱き志、貴重な日々、当時の親方を振り返る、そんな空間が、私の中でここにとどまっているのです。
先の週末、この日は新人歓迎会を兼ねた事務所の研修会。この燈々庵で懐石料理をいただきます。
豊かなしつらえと季節の味わい。五感で味わう懐石の時間、普段の仕事の中ではなかなか味わうことのできない時間と空間が流れます。
土壁に映えるのはシャガの花。もうそんな季節になったのか、日々の仕事に追われていると、季節の変化がとてもめまぐるしく感じられることがあります。
そんななか、清らかに活けられた表情に立ち止り、そして心を取り戻します。
庭に出て、再び中門から雑木林の頭上を見上げると、思い思いに伸びた木々の生命力に打たれます。
前回私が訪ねたのは3年くらい前ですが、当時に比べて木々の表情がかなり変化していることに驚かされます。
毎年の庭の手入れは、今も私の親方の手で行われています。私もこの20年間、時折この庭を訪ねます。
6年前のこと、親方はこの庭のコナラの頭を切り詰めるのをやめました。
「この庭はケヤキの大木の下になるからそんなに成長しない。今回の手入れからはコナラの頭を伐らないことにした。」
6年前、たまたまこの庭を訪ねた際、手入れ作業に入っていた親方がそう話しました。
毎年の手入れの度に木々の様子を見て、そして木々と対話しながら手入れ方法を修正してゆく親方の姿に、「さすがだなあ。」とひたすら感心したことを覚えています。
それから6年、ケヤキの下でゆるやかながらも思い思いに伸びたコナラが、生き生きとした新緑の景色を生み出して、見る人にいのちのエネルギーを感じさせてくれています
私たちの仕事は、庭の管理の仕方一つで風景をも変えてしまいます。だからこそ、その責任は重大で、「これでよいのか」と、常に厳しく自分に問い続けねばなりません。
ここは燈々庵の奥庭です。この空間は今から3年ほど前、新たに茶房を増設するに伴って庭が作られました。
既存のヒノキ林を活かし、その下に深山の源頭部のような幽玄な世界を作り出したこの庭の設計施工も私の親方です。
苔むした石で構成された下草のない渓流の表情。植栽は大きなアセビとハウチワカエデにヒノキの苗。それだけで深山に迷い込んだような錯覚さえ感じさせられる空間を作り出してしまう親方の研ぎ澄まされた造園感覚。
3年前にこの庭を見た時、決して私が到達しえない孤高の世界を親方に感じたことを強く覚えています。
造園人生20年、そしてまだまだ私の道は続きます。そんな中、尊敬できる親方の存在、それだけでどれほど自分は支えられてきたことでしょう。
もちろん、日々戦いのような修行中には、そんなこと感じる余裕すらなかったのですが、師匠のありがたさはきっと後の生き方の中でより鮮明なものになってゆくのでしょう。
そしてここは西多摩郡日の出町の、金綱親方の事務所です。
燈々庵を訪ねた後、懐かしい想いに駆られて親方のお顔が見たくなり、金綱事務所に足を延ばしました。
日々歯を食いしばって修行に励む私の若い従業員たちにも、今回の機会に親方に会うことで、何かを感じ取ってもらいたいとの思いもありました。
突然訪ねたにもかかわらず、にこにこと出迎えてお茶をふるまってくれる私の親方。今親方に私が感じるものは師匠の優しさ以外に何もありません。
20年前の自分は確かにここで日々、造園修行に励んでいたのだという実感。当時の厳しかった親方の印象は私の中ではとうになく、今、こうしてたまに会う親方との時間に全身で幸せと感謝を感じます。
私も独立して早15年。独立したての頃は「絶対に親方を超えてやる。」とばかりに血気盛んにチャレンジし続け、そして今があります。
あの頃、身の程知らずの若造だった時分の私は、勝手に親方に張り合っていたのです。そんな時代も経て、今があるということを実感します。
人間は、真剣に生き、真剣に向き合えば、なにかと複雑に人とぶつかり合うこともあるものですが、そんな中、当たり障りなく長く付き合う人間関係もあれば、お互いさらけ出して濃い時間を共に過ごした思い出を胸に、尊敬の念が年月と共に増してゆくような人間関係もあります。
それはまさに、木々が年月と共に黙って育ってゆくようなもの、私にとっての親方はそんな人であり、そうしたお付き合いが許されることをとても幸せに感じます。
この日はさらに、燈々庵の姉妹店、井中居も訪ねました。青梅市の古い屋敷を改装し、この庭も私の親方の手によって生まれ変わりました。燈々庵とはまた違う、どこか懐かしい風景がここに漂います。
井中居の駐車場の片隅に、樹齢100年という桑の木の大木が残っています。地元の人の話では、かつてこの辺り一帯に広がっていた桑畑の名残がこの一本だと言います。
隣の畑を耕すのは70代の井中居の地主さんです。周辺一帯の農村風景はいまや新興住宅地と化しました。そんな中、三本鍬で畑を耕す人の姿とのコントラストが心に深く浸みわたります。
「昔は貧しくてひもじかったが、この辺は農村だったから食べるに困らなかった。戦後は街中からここまで電車で食料を買いにたくさん人が来た。日本はあの頃貧しかったからな。またそんな時代が必ず来るよ。」
昔の思い出を胸に、そう語りつつ広い畑を耕す地主さんの心の中で、将来の日本に何を想っているのでしょう。
時代は変わります。環境も激変することでしょう。そんな中、今の時代、社会の中で何をすべきか、どんな仕事をしてゆくべきか、常々考えます。
これからの時代に、人や自然環境に対して役に立つことをしたい、そう強く思えるベースには、若いころに過ごした西多摩での日々が胸にあるからなのだと、今は思えます。
さて、またこれからも自分の歩みを一歩ずつ、今のペースで、しかし確かに進めていきたいと思います。