夏山の記憶 平成28年9月12日
相変わらず東奔西走の日々の中、ブログ報告ができずにすいません。
「最近ブログが更新されていないけど、お元気ですか。」 ひと月もブログ更新が滞ると、お客様からそんな電話やメールが続きます。
ブログを楽しみに待ってくださるお客様がこうして連絡くれることは本当にありがたいことです。
そろそろ書かないと、そんな思いで時間を作り、写真を整理し始めるのですが、こうして激しく走り続る私の一か月というものは本当に、皆様にお話ししたいこと、報告したいことが山ほど積み重なります。
今後はあまり溜め込むことなく、コツコツと日々、短い文章で感じた事、思うこと、徒然と報告していきたい、そう思います。
さて、今回はこの夏の山行報告にとどめたいと思います。
高校2年の時から登山を始めて、今年で30年になります。導かれるままに山を歩き、森を旅し、自然の息吹を五感で感じ続け、そして今の自分があります。
息をのむ大木の生気、そして今もなお、清らかに語りかけてくるいのちのにぎわい、そんな中に身を置くことで、自分の使命と役割が与えられ、そして道が開けてきたように思います。
これからも、自然の息吹に身を委ね、そこで感じ考え、行動し、そしていずれこの世を去るときは、草の褥に迎えられて眠るように大地に還っていきたい、その時はまたまだずっと先なのでしょうが、、、こうして日々走り続ける人生の中、たまの休みの山行で、まるで魂の故郷に帰ってきたような懐かしさとともに、あらゆるいのちと一体である我の存在を改めて感じるのです。
今回の山行は30年前の夏を振り返る一人旅です。
北アルプス穂高連峰涸沢カール。ここから日本第3位の高山奥穂高岳に登ったのがちょうど30年前の夏だったのです。
その後、幾度となく穂高連峰に足を運びましたが、30年区切りの年、この地を再び訪ねました。
切り立つ稜線を縦走します。
この山域は日本アルプスの中でももっともダイナミックな岩稜と言えるでしょう。
多感な17歳の夏、あの山の頂に立った時の興奮を今も忘れません。
滝のように流れ落ちる雲の動きは刻々と変化し、見ていると頭も心も心地よく冴えわたり、いつの間に時間が過ぎてゆきます。
山を伝う雲の動きに地球の空気の流れを知ります。
山麓の上高地で迎える晴天の朝。朝もやが沸き起こって木々を伝いそして空へとのぼっていきます。
守るべきもの、育むべきもの、それは健全な大地の呼吸であることを確信します。降り注いだ雨がきちんとと大地に染み渡ってあらゆるいのちを潤し育み、そして土中で浄化されて湧き出し、海へと還り、そしてまた循環する、絶えず循環しながら再生される水と空気の中で我々人も生かされます。
太陽や大地と一体のリズムで動く気の流れを全身で感じることができる場所も今はずいぶんとなくなりました。
大地の空気と水の循環、本来の姿を感じること、その大切さを伝えたい、そんなエネルギーが全身に注がれます。
森の環境が育ってくると、そこは多種多様な植物、生き物同士が拮抗作用を起こすことなく共存共生の場となってきます。
そしてそこは植物や動物たちだけでなく、人にとっても心休まる心地よい環境となるのです。
そこに流れる調和の響き、大地の声、心地よい空気と香り、そんな本当の環境のよさを感じる能力すら、多くの人は失ってしまいつつあります。
力を持った環境を感じる感性、これを多くの人に取り戻してもらい、そして特に、子供たちに少しでも体感してほしい、本当の優しく包み込むような自然(いのちのふるさと)をよりどころにしてもらいたい、そんな思いばかりが強まります。
サルのお母さんが子猿に木の実を手渡しています。
豊かな森の環境では野生動物もテリトリーを守り、すみ分けるもの、環境を荒らさぬもの。彼らの生きる基盤たる豊かな環境を人に荒らされてしまえば、彼らはその行動を変えていきます。
我々人の在り方、一つの命の循環の中、そんなことを謙虚に顧みて人間社会の在り方を修正できるよう、人は進化しないといけません。
進歩ではなく、進化しないといけない、そんな思いが今高まります。
今年の夏の山行はそれだけでは終わりません。いつの間にか小6になった長男と次男を連れて中央アルプスを縦走します。
小学生のうちに3000mの世界を体感させたい、今年が最後のチャンスです。
わが子が生まれたとき、いつか息子と一緒に山に行きたいな、漠然とそう思ったものです。
稜線の頂にて。
木曽駒が岳山頂にて。
稜線の夕景。雲海の向こうに浮かぶのは木曽の名峰、御岳です。高山の冷気を青く包み込む日没の稜線は心洗われる時間です。
ダウンジャケットにくるんで寒さをしのいで夕日にカメラを向ける次男(小3)。
山頂で迎える翌朝の日の出。
そのわずかなひと時、山々も岩肌も一瞬ピンク色に染まります。
子供は親が思う以上に強いもの、直角に切り立つ岩峰も物おじせずに歩みます。
私の山行や旅はいつも、様々な調査や発想を得ることを目的の一つとすることが多く、そうしたライフワークの真剣勝負の旅に子供を連れてゆくことはあまりありませんでした。
わが子がそうしたことに興
味を持ってくれたら、時期が来たら、一緒に旅できればうれしいという思いが膨らみ、今回子供と一緒に登ったのでした。
子供はいつの間にか、父親が思う以上にいろいろなことが分かっていて、そして私の想いも、私が今真剣に取り組んでいることの意味も、実はよく分かっている、そんなことも、今回の水入らずの山行で感じた時間となりました。
夏休みの終わり、大学生となった甥っ子たちと、おなじみのちばダーチャフィールドで過ごします。
どうも、僕は身内や子供の話をブログに書くのは苦手ですが、、恥ずかしながら少しだけ、今回は思いをつづりたいと思います。
今年大学生となった甥っ子次男は今、北海道の大学で自然環境を学んでいます。
薪割りが大好きで、北海道でも人に頼まれて率先して薪割りを楽しんでいるようです。山が好きで、生き物が好きで、子供が好きで、大学生活を全身で楽しんでいる。生まれた時から知っている、あの元気なチビ助だった甥っ子が、いつの間にかそんな好青年になっていたことに感慨無量な思いです。
そして長男は今、大学院で建築を学びながらも、自然環境と人の営みのはざまにおいて、未来にあるべき建築の在り方を真剣に考えようとしています。
「これからの建築は絶対に環境全体から考えなおさないといけない。環境と言っても、エコ住宅とか、ゼロエミッションとか、自然素材とか、そんなうわべだけの浅はかなものではなくて、最先端を知らないといけない。自然環境というものの本質を感じて、知って、そこから組み立てなおす気概が今必要だ。」
私は建築を学ぶ甥っ子にいつも熱くそう言います。
僕が苦悩と青春真っただ中の23歳の時に生まれたこの子も今は23歳。月日の流れは本当に絶え間なく、そしてすべてが育ち、すべては移ろっていきます。
確実に未来を担うこの子たち、その成長に目を見張ります。
それだけ自分も年取ったことを感じますが、こんな若者たちの生きる時代が良い世の中となるよう、ますます決意を新たに力みなぎります。