過去のブログ 『雑木の庭』

暮の手入れ行脚に想うこと       平成25年12月17日


 今年も残すところあと2週間、11月半ば以降、一か月以上にわたり、毎日毎日庭の手入れのために西へ東へと駆け回ってきましたが、いまだ終わらず、年内だけでまだあと20件ほど廻らねばなりません。
 そして、この怒涛のような暮の手入れ行脚の果てに、爽やかな新年が待っているのです。

 手入れの季節というものは、私たちにとってわが息子のように愛おしい庭の木々たちや、お施主ご家族との再会の喜びのひと時でもあります。
 1年ぶり、あるいは半年ぶりのお客様方々との再会の度、まるで懐かしい友人に会うような、お互いそんな笑顔の中、どちらからともなく「お元気そうでなによりです。」との言葉が自然と発せられます。
 こうしてお互い時を重ね、そしてそれぞれの人生を見守るように庭の木々が寄り添います。

「木々は偉いなあと、つくづく思います。黙って成長して、夏は木陰を作ってくれて、秋はこんな素晴らしい紅葉を見せてくれて・・、家族を見守ってくれて・・、本当にすごいなあと感じます。」
 10年以上も前に庭を作らせていただいたお客さんが先日そんなことを言ってくださいました。
 その庭の作庭当時は入園したての幼稚園児だった男の子が早くももうすぐ高校生、彼は数年前から自分で庭に果樹を植え、花を植え、そして自分で面倒を見る、木を愛する優しい子に育ちました。
 
 木々を愛してくれるお客様はみんな、本当に心豊かで優しい方ばかり。そんな方々と、心から敬い合い、心を通わせつつ、生涯のお付き合いをさせていただけるというのが私たちの仕事なのです。

 私が独立して早くも15年ですから、その頃からお付き合いくださっているお施主さまの場合、当時小学生だった子供がすでに大学を卒業し、独り立ちする期間のお付き合いとなります。
 また、何人かのお施主さんはすでに亡くなり、さびしいお別れも幾度もありました。

 お客様と私たちとは、大方、どちらかが亡くなるまでの一生涯のお付き合いとなることが多くあります。
 そして、お施主が亡くなる前に、愛していた庭の木々のその後の面倒を見てくれるよう、遺言のように託されることもあります。
 木々を介したお付き合いは、心の奥深い部分での共感と敬意を伴うお付き合いとなります。
 木々を愛する温かで清らかなお施主の心に触れることで、私たち自身も、緩やかで確かな人としての成長を実感するのです。

 数日間に訪ねたお施主さんが、お茶をふるまってくださる一時、初顔合わせの若い社員にこう言われました。
「厳しい世界だろうけど頑張ってくださいね。素晴らしい仕事だから。木を好きになってくださいね。木は本当にいいですよ。とにかく木を愛してくださいね。」

 手入れに同行する若い社員たちの心にもお施主の爽やかな心遣いが浸みわたり、そんなかけがえのない感動の体験が、心豊かなお施主方々との触れ合いの中で繰り返されます。

 お施主さん家族との思い出は、私の心の中に庭の風景と共に刻み込まれます。
 そしてこうして手入れに訪れる度、その庭を作ったころの自分、当時の想い、お施主さんの温かい心遣い、ご家族の息吹と時間の経過、そんなものが胸をよぎり、しみじみと時の流れを感じます。

 手入れを通して、私たちは木々や庭のことを学びます。20年も造園の世界にいながらも、毎年手入れの際に庭を訪ねる度に、木々の生長や変化に新鮮に驚き、そして「どうして?」という思考の材料が与えられます。
 私たち人間のスパンをはるかに超える長い時間を生きて成熟してゆくのが自然の木々、それを理解し尽くすことなど、露のように短い命の我々にできるはずがありません。

 庭の手入れに廻る日々、私たちは毎日子供のような感動を味わい、そしていつも新たな発見がそこにあります。
 どんぐりが芽吹き、私たちが植えてもいない木々の種を小鳥や風が運び、そして芽吹き、その一部は庭の一員となっていきます。庭が自然となってゆく喜びと感動も、お施主と共に分け合います。

 手入れに廻り、庭やお施主さん方々と再会し、そしてかつての自分と再開する、そんな時間が暮の手入れの時間。
 1年間を無事に過ごさせていただいたことに心から感謝し、そしてこんな素晴らしい仕事ができることに感謝し、人や社会に恩返ししていきたい、これまでの庭を反省し、もっともっと良い庭を目指したいとの思いを煮詰めてゆくための貴重な時間、それが暮の手入れの時間です。

 素晴らしいお施主様方々に感謝と共に、これからも木々を介したたくさんの出会いへの希望を持って、良い年を迎えるべく、明日も手入れに廻ります。

株式会社高田造園設計事務所様

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