台湾の森つくり 始動 平成24年7月2日
ここは台湾 高雄市。台北に次ぐ、台湾第2の都市です。
数奇な縁でこの地で施設の景観設計させていただくことになり、この地を訪れました。
台湾のちょうど真ん中あたりに北回帰線が通り、それを境に北側は亜熱帯気候、南側は熱帯気候域に属します。
台北は亜熱帯ですが、台湾南部に位置する高雄市は熱帯となります。街の木々は熱帯特有の精気に満ち溢れ、スケールの大きな木々が街に大きな木陰を作っています。
大通りの中央緑地はガジュマルの木陰の歩道となります。
夏の日中、熱帯の日差しは強烈で、大木の木陰はなくてはならない必須のものとして、都市は計画されています。
高雄市内のメインストリートから上空を見上げると、大空に日差しを遮る枝葉が生い茂り、まるで森の中にいるようです。
しかし本当に、この木立がなければ日中はほとんどで歩くことはできないほどの日差しです。
日本の夏も今や熱帯並みと言いますが、実際に熱帯の夏を体感するとその熱射の違いは明らかです。
高雄の人たちは昼は食事の後、午後2時くらいまで休息を取り、昼寝をしたりして過ごし、極力日向には出ないと言います。
こうした気候風土が、都市に多くの木々のスペースを設け、熱帯特有の大きな木陰に包まれた美しい街の風景を作ってゆくのでしょう。
20年近く前のこと、シンガポールの街を訪ねた際、「これからの日本の街はこうあるべき。」と直感したことが、高雄の街の光景に接して鮮やかに思い出されます。
そして、その時のシンガポールの街の光景こそが、私のこれまでの住環境つくりに大きな影響をもたらし続けてきました。
「木陰と木漏れ日のある住環境」、熱帯並みの日本の夏を快適にしてくれるのは、スケール大きく上空に枝葉を広げる健康な木々、そう確信したのは20代前半に訪れたシンガポールでのことだったのです。
ここは、台湾の仏教慈善団体、正徳佛堂の高雄市総社です。ここは漢方医療に基づく診療所
が併設されており、ここでは仏教の教えに基づき、市民に無償で診療を行っています。
正徳医療機構のこうした診療所は台湾全土の都市に10以上もあり、そのすべてが善意の寄付金によって運営されているのです。
早朝、診察室の前で診察を待つ人たち。漢方医による診察、治療、薬までもがすべて無償で運営されているのです。
正徳佛堂ではこうした医療だけでなく、弱者、貧者、困窮者のための様々な活動を、仏教の精神に基づいて行われているのでした。
正徳佛堂は仏教慈善団体として台湾で2番目の規模で、その活動内容を知るにつけて、日本の一般的な今の仏教との違いをまざまざと感じます。
戒律に基づく敬虔な出家者、そして労を惜しまず世のため人のために慈愛を持って奉仕する明るくとても温かな在家の信者方々、なにか、今の日本では感じることのできない大切なものを感じ、強く心を打たれます。
今回、高雄市内に漢方医療を中心とした癌の専門医療施設を作る計画に当たり、その環境設計を団体創設者の常律法師に依頼され、打ち合わせと現地視察のために訪れたのでした。
2日目、今回のプロジェクト関係者とともに、癌センター建設予定地の下見のため、マイクロバスで現場に向かいます。畑に囲まれた田舎の道ですが、道路沿いは市によってボリューム溢れるグリーンベルトが設けられています。
木々は熱帯の日差しを受けて生い茂り、この緑が乾季には農場の砂埃を緩和し、頻繁に来る台風から道路を守り、そして道路沿いに木陰を作ります。
建設予定地付近、バスはガジュマルのトンネルの下に留めます。日向に留めたら、車内はプラスティック部品が変形してしまうほどの日射だと言います。
それこそ、日向の駐車は生死の危険すら感じるほどの強烈な環境なのです。
日向では、全員日よけの傘をさしています。奥は車を留めたガジュマルのトンネル。このすざましい日照を、熱帯の強い生命力を持つ木々が完全に遮断しています。
「命を守ってくれる木々」という言葉が言い過ぎではなくそのまま当てはまる、熱帯の樹木は強い味方となります。
法衣を着た人たちは正徳佛堂の出家された尼僧の方々です。炎天下のもと、彼らは暑い表情も見せずに屈託のない笑顔で現場を案内してくださいます。
写真左は河川の堤防、そして道路右側が今回の予定地です。
この、広大な農場跡地が計画予定地となります。と言えども、写真で見渡す部分は施設併設の有機農場となります。
今や台湾人の3人に一人が癌でなくなると言います。その状況は、45歳以上の日本男性の2人に一人以上が癌を発症する日本の状況と変わりません。
漢方医学に基づく正徳医療機構では、癌の発症に大きくかかわる水と空気と食を中心とした生活環境の改善を最重視し、ここに森を再生し、広大な有機農場を再生するのです。
敷地の隣に流れる大河は美濃渓と言い、高雄の平野を蛇行して流れます。何日も台風が停滞する熱帯の気候の下、この川は堤防を乗り越えて氾濫し、周囲の農地にあふれだすと言います。
こうした気候下での土木事業には万全な排水計画が欠かせません。今回の計画では、洪水に備えた大きな貯水池を設け、その周辺を施設の自然公園として利用します。
私は、その貯水池を中心に、この土地本来の自然植生による、広大な本物の森を作ろうと考えています。その提案と現地調査のために今回訪れたのでした。
今は耕作されていないこ
の農地、ここに自然環境を再生しつつ、有機農場、病院、公園に老人施設、癌になって働けなくなった親の子供を預かる孤児院や小中学校など、おおよそ人の生・老・病に関わる必要な様々な施設が作られます。
したがって、その建設計画も環境計画も、人の心の癒しになる健康な街の在り方を最重視して計画されねばなりません。
だからこそ、私は単なる景観デザインとしての街づくりではなく、この地の本物の生態系を再生共存させつつ、今後の人と自然との共生の在り方を世界に発信できるような街を作らねばならないと考えております。
これまでは、開発事業に伴って我々生き物の生存基盤である自然が失われてきました。これからは、開発事業に伴って本物の自然が再生され、より豊かな環境となるような開発の在り方が絶対に必要です。必ず実現しなければなりません。
今後、おそらく10年計画となる壮大な事業です。
現地視察の後、台湾の樹木見学のため、高雄市に隣接する屏東市にある国立屏東科技大学を訪れます。
日本統治時代からの歴史を有するこの大学の構内には高木が生い茂り、豊かな木陰が広がっています。とても美しい大学です。
もちろん、木陰がなければこの地で学業に励むことは至難の業でしょう。
車はもちろん、大木の木陰に留められます。
木々のスケールは大きく、30mを超えるような木々も珍しくなく、それが台湾第一のキャンバス面積を誇る広大な大学を、灼熱の熱帯であるにもかかわらず潤い豊かな環境に落ち着かせてくれているのです。
学内に6年前に新設された原生植物園内で木々の説明を受けます。
短期集中で現地の植物を頭の中に叩き込んでいきます。
常緑樹ばかりではなく、熱帯と言えども雨季と乾季の差が大きい台湾ではもちろんたくさんの落葉樹も見られます。この木は幹肌が日本のコナラによく似たオークの一種ですが、葉の大きさや厚みが全く違います。
おそらく種は近いのでしょうが、熱い環境での落葉樹はおおよそ、葉が大きく厚くなるようです。
これはタイワンスギの苗木ポットです。日向では痛んでしまうので、苗木は日陰で生産しています。
日向の樹木園に植えられた苗木の生育のためには、1本ごとに灌水設備がつけられていました。
広い敷地にまばらに植えられた苗木は、熱帯の気候の下、ここまでしなければなかなか生存できないようです。
幹線道路沿いの緑地に補植された木々。
台風やスコールにさらされるこの地では、苗木植栽してしっかりと根を張らせていくことが必要ですが、日向に点々と植えるようなこんな植栽方法では枯死率も高く、木々が自立できるようになるまでに大変な管理が必要になります。
日本でもこんな問題の多い補植の仕方が今もよく見られますが、とくに熱帯において早く本物の森を再生するためには土地本来の樹種による多種類の苗木を密植して競争を促すことしかありません。
今回の事業地では、苗木の密植による森の再生を試みます。
今回大学校内で樹木の説明をしてくださった陳氏の経営する農場外周林。樹高40mほどの高木が点在する多層的な外周林がこの環境を守ります。
陳さんは30年かけてこの外周林を育ててきたと言います。
かつての日本の屋敷森を思い起こします。生活環境を守るために樹林を作る人の営み、熱帯の生活環境に触れ、その必要性を改めて深く実感させられます。
高雄の観光スポット、六合夜市。日差しが陰るころ、この通りに屋台が延々と並び、そして夜になって人が溢れます。
屋台の連なる夜の表情も、熱帯の街にはよく見られます。蒸し暑い熱帯の暮らしが生み出した文化と言えるでしょう。
夜市を案内してくれたのは正徳佛堂ボランティアスタッフの陳玉雪さん(左)と高雄在住の日本人、今回通訳をしてくださった望月洋江さん(右)です。本当にお世話になりました。
2日間行動を共にして現地案内してくださった出家僧の方々は、戒律に従い精進料理のみを食されるため、夜ばかりは私のような呑兵衛のお供まではさすがにできないのです。。。。
今回、この団体の活動に奉仕されるスタッフの方々の明るさと温かさもさることながら、出家僧の方々の清らかさには、私の人生観を変えてしまうほどの感銘を受けました。
帰国したばかりの今日、この感動を整理し切れておりません。
戒律に従い、心身を修養し、社会への慈愛を持って無欲に明るく奉仕される出家者たちのの美しい表情に接し、帰国した今もその感動に包まれています。
今回の壮大な事業もすべて、善意の寄付金によって行われ、そしてその後の医療や学校などの施設の運営もすべて無償で行われると言います。
はたしてそんなことができるのか、そんな疑問は彼らと触れ合う中で解消されていきました。
無欲と慈愛、そして良い人の生のために尽くすことのみに身を捧げる出家僧方々の無償の行為によって、多くの方が心身を救われる、本当の宗教の在り方を私はこの地で初めて触れたような気がします。
光栄な仕事です。もちろん私も無私になり、心を高めてこの一世一代の仕事に臨まねばなりません。
お世話くださった皆様に心からの感謝を申し上げます。