原点の庭 鎌倉市Sさんの庭にて 平成24年3月26日
ここは鎌倉市のSさんの庭、12年前に作らせていただいた庭です。昨日、打ち合わせのため、温かな早春の日差し輝くSさんの庭を訪れました。
玄関前の水鉢に添えた豊後梅が満開でした。淡いピンクの豊後梅は昔も今も変わることなく、私のもっとも好きな花の一つです。
12年前から、Sさんの庭の完成後は、6月と12月に決まって手入れに伺いますが、この時期に来るのは本当に久しぶりです。
独立後の私にとって最も長い付き合いの庭の一つでありながら、私の見てきたこの庭の表情は、実際にはほんの少しだけだったんだなと気付かされます。
造成されて何もなかったのに土地に石を据えて木を植えた、その土地が12年の年月を経て、今はすっかりと土地の苔に覆われて、この土地の自然と同化しています。
葉を落とした冬の雑木の庭、こうして年月を経てその土地の風土や自然に同化した庭というものは、四季折々飽きることなく、移りゆく庭の表情を楽しむことができます。
「この庭は本当にどれだけ居ても飽きない。お客さんが来ても居心地がいいもんだからなかなか帰らないのよ。10年も経ってもまだどんどんよくなっていくんだから、すごいね~。」
と、Sさんの奥さん。
Sさんと初めて庭造りの打ち合わせをしたのは、忘れもしません、独立してやっと2年目、私がまだ29歳のことでした。
たった1回の打ち合わせでSさんは、独立まもない若造の私に、350坪の終の棲家の建築造園計画をすべて委ねて下さいました。
造園という仕事、その商品は同じものは2つとない上に、契約後に作るわけですから、お客さんにとってはある意味、賭けのような面があると思います。
例えば、車を買うとかであれば、買う前に商品を実際に見られるのですが、造園の場合は違います。これから作るものに対して、お客さんは何百万、あるいは何千万という金額をかけてその作り手に任せるかどうかを決めるのです。
もちろん、その作り手に目に見える実績や社会的評価があれば、まだ分かりやすいと思いますが、独立して1年、当時20代の私にはまだ、何の実績もなかったのです。
そんな若造に、大きな仕事をすべて自由に任せて下さったのがSさんでした。
そんなSさんの信頼と期待に対して、何が何でもこたえるために、必死で取り組み、必死で勉強したのがこの現場でした。
修業中、私をかわいがってくれた年配の職人に、こんなことを言われたことがあります。
「高田君、とにかく一生懸命、誠心誠意頑張れな。全力で一生懸命やっていれば必ず誰かが見てくれる。チャンスをくれるから。とにかく今は一生懸命頑張れや。」
今の自分、今の高田造園があるのは、間違いなくSさんが原点の一つ、節目の一つだったと思います。
実績も何もないのに、私を信頼して大きな仕事を任せてくれた。もちろんそれは私だけではなく、多くの人がそんな経験を持っていることと思います。
そして、人の信頼にこたえるために全力で責任を果たそうとすることで、人は大きく成長できるものだと実感します。
和室窓からの景色、この家ではカーテンの必要はありません。
「鎌倉にはいい庭もいっぱいあるけど、うちほど落ち着く庭はないよ。」とSさんが言ってくれる。
この庭を作らせていただいたのは12年も前のこと。
その後、私の作風は変わり、Sさんの庭を訪れるたびに、「今だったらこうしたのになあ。あの頃の俺は庭のことが何も分かってなかった。Sさんに申し訳ないな。」という思いを感じる時が、それこそ何度もありました。
もちろん、そんな反省がなければ進歩もないのでしょう。
しかし、「庭の良さって何だろう」と考える時、Sさんが今も、この庭のある暮らしを何よりも喜んでくれるという事実、それだけで、若い頃の自分が全力で作ったこの庭に込めた魂こそ、今の私が忘れてはならない素晴らしいものだったんだなと、感じさせられました。
Sさんは言います。「どんな仕事でも、人のためになる、人に感謝される仕事ってのは大切だね。」
Sさんは今でも、私のことを若い頃と同様に、「ねえ高田君、、」と言ってくれます。
久々にSさんとゆっくりした時間を過ごさせていただき、節目にいることを実感していた私にとって、原点回帰した1日となりました。
人のため、未来のため、自分のなすべきことを追求していこうと決意新たにしています。