茅葺きワークショップ 平成24年1月28日
ここは茨城県石岡市、国指定有形文化財の大場家住宅です。
江戸時代末期に建てられ、今も大場家一家の居宅として活きています。
美しい屋根です。軒や棟の装飾に、筑波山麓の茅葺き家屋の顕著な特徴が見られます。
軒先の重ね合わせの表情。
稲藁、古茅、丸竹、新しい茅、杉皮と、美しい軒先の模様を見せています。
茅葺き屋根の棟の小口の装飾は筑波流と呼ばれ、これほどの装飾は全国でも随一と言えるかもしれません。
この豊かな装飾が、筑波山周辺の茅葺き屋根を特徴づけています。
棟の真ん中に設けられた、囲炉裏の煙出しのための越し屋根。袴板には寿の文字が装飾されていました。
かつて、筑波山麓の茅葺き職人たちが競って発展させてきた伝統技術も、今はその担い手もほとんどいなくなってしまったそうです。
茅葺き屋根がもたらす美しい里の風景、日本の宝と言うべき風景、こうした価値が近年急速に見直され始めてきました。
茅葺き技術やその素晴らしさを伝えるべく、今日、この大場家で、茅葺きのワークショップが開催されました。
やさと茅葺き屋根保存会の主催で、東屋の茅葺き屋根の葺き替えをみんなで体験するというイベントです。
このイベントに、遠い他県からもたくさんの人達が集まりました。
地元筑波で刈り取ったススキ茅を束ねて、穂束を作るのは、83歳の茅葺き名人です。
そして、80歳代の名人に弟子入りして茅葺きを学ぶ、20代の若者です。名人の下には、実に50年以上もの年月のブランクがありました。
ちょうど、1960年代に燃料革命があり、我々の暮らしの資源が身近な自然から石油石炭などの化石燃料にとって代わられた時期から高度経済成長期の世代まで、すっぽりと間隔が空いてしまい、こうした大切な技術や暮らし方の伝承が、経済至上主義を信じて疑わずに邁進していた間に途絶えかけてしまったのです。
そして、私たちの暮らしから身近な自然が遠く離れていき、様々な問題抱える矛盾した社会と引き換えに、経済的な豊かさを手に入れた日本。
それと同時に私たちが見失ってしまった豊かな心。
しかし今、こうした旧来社会の価値観にもようやく変化の兆しが現れてきたようです。
自然を活かして成り立ってきた暮らしの大切な技術が完全に途絶える前に、今、息を吹き返そうとする胎動が、こうした若者の存在の中に垣間見られるように感じます。
茅葺き職人の指導の下、大勢の人たちが交代で屋根に登って茅を葺きます。
筑波山麓、石岡市の風景。中山間地の豊かな風景。この風景と共に営まれてきたのが、茅葺き屋根の家屋でした。そしてそれこそが、人と自然とが共生してきた農山村文化の象徴的な光景でした。
茅を刈り、屋根を葺き、そして余った茅を煮炊きの燃料や飼料、田畑の肥料に利用する。そして数十年に一度の屋根の葺き替えの際、大量に発生する古茅は、最良の肥料として大地の作物に還元されるのです。
エネルギーを含め、資源の全てが循環し、ごみなど全く発生しない、そんな暮らし方が農山村ではつい近年まで続いていたのです。
それが高度成長と共に、これまで永続的に営まれてきた自然由来の暮らしの資源が、化石燃料に取って代えられ、そしてその美しい農山村の風景も文化も永続的な暮らしの知恵も失ってしまいました。
そうした中、今、化石燃料に頼った文明の限界に多くの人たちが気付き、かつての素晴らしい暮らしの知恵を、新たな社会の構築や、豊かな暮らしの中に再生していこうとする人が急速に増えてきたように感じます。
その象徴たるものの一つが、美しく機能的な茅葺きの文化と風景と言えるでしょう。
今もなお過ちの文明の中、祖先が築き、伝えてきた美しい国土が汚され切り刻まれ続けている中、未来のため、そして私たち自身のために大切な生き方暮らし方を見直す動きが大きくなり、そして、こうした動きがもしかしたら、何か大きな変化を生み出すかもしれない、そんな可能性を感じさせられたワークショップとなりました。
主催者方々、ご指導くださいました茅葺き職人の方々、大場家の皆様、どうもありがとうございました。