庭・街・風景に思う

京都庭遊庵 田島友実氏の庭空間  平成23年11月6日

 年末のあわただしさと出張が続く中、ブログの更新間隔がまた1週間も空いてしまいました。。。
今日は、京都の雑木空間作家 田島友実氏の庭の下見にうかがいました。

 田島氏10年前の作庭です。比叡山や琵琶湖を借景とする、絶好のロケーションにこの家があります。
 リビングの南西側の雑木の木立が夏に西日を遮り、室内を涼しくしています。

 京都庭遊庵、田島友実氏は、住環境を改善する雑木の庭空間作りの先駆者と言えます。

 雑木の庭の系譜をたどると、それは明治時代にまでさかのぼりますが、こと、住環境を過ごしやすく改善すること主眼を置いた次世代の庭つくりは、間違いなく田島さんが先駆けと言えるでしょう。

 もともと、京都町屋の坪庭や方丈・書院の北庭など、住まいの微気候を改善して暮らしやすくすることを目的として空間がつくられ、そしてそこに木々が植えられたのですが、それが庭が空間作品としてばかり見られるようになるにつれて、環境装置としての庭の根本的な意義がいつのまにか置き去りにされてきたのでした。

 その結果、自然の力を上手に生かして住まいの快適性を生みだしてきた日本の住宅も変貌を遂げていきました。
 環境装置としての庭空間の利用を忘れた結果、建築は室内だけで完結させる密閉型が主流となってきたのでした。
 そして、それが自然を拒絶して人工的なエネルギーを大量消費せざるを得ない今の生活スタイルを作り出してしまったと言えると思います。
 
 造園も建築も、もう一度、暮らしの環境を作る仕事の責任を再認識しなければなりません。
 
 「家庭」という字は、「家」と「庭」、と書きます。家があって庭があり、そして初めて良い家庭が生まれます。
 家と庭は、それぞれが独立したものではありません。そこは住まいの場である以上、家と庭とが一体となって、そこに住む家族を心豊かにする住環境を創造することが社会的な使命と言えます。
 家は建築家のものではなく、同じく庭は造園家のものではありません。お客様家族のものであり、そしてその街の風景の一角でもあるわけです。
 そんな当たり前のことを、しっかりとわきまえて、今の時代、今の環境、今の暮らしの舞台にどのような空間を創造してゆくべきか、その原点を見つめれば、おのずと答えは見えてくると思います。

 リビング西側のこの庭が、夏の住環境の涼しくするのに不可欠です。
住まいの西庭はとても重要な環境改善装置となります。

 私は5年前、田島さんの庭を初めて訪ねました。
 それまでも私はずっと雑木の庭を作っていましたので、木々が作り出す環境改善の効果を日々実感しておりましたが、それを主目的とした庭つくりはしていなかったと思います。
 5年前に触れた田島さんの考え方、そして生み出される庭によって、私の今の庭造りの方向性が決定的なものになったのでした。

 つまり、私の今の庭の一つの原点は、田島さんの庭にあります。

 1年前に完成した奈良県の庭です。もちろん、田島さんの作庭です。
 庭に佇む田島さんとお施主さん。
 密集住宅地の中のわずか数坪の庭空間が、深遠な自然を感じさせてくれます。実に巧妙な空間作りです。

 そして、ここに住む方の日常風景がこの窓越しの庭です。この庭がどれほど住まれる方々の心を癒し、その日常を心豊かなものにしてくれることでしょう。

 5年ぶりに見た田島友実氏の庭、今回もなお、新鮮で心地よい刺激をいただくと同時に、私自身の庭造りへの確信をも、再確認することができました。
 
 1日時間を費やしてご案内下さいました田島友実さん、そして快く庭を拝見させて下さいましたお客さま、どうもありがとうございました。

 
 

株式会社高田造園設計事務所様

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