撮影山行 苗場山にて 平成23年10月18日
今週末は久々に、私の造園の師匠 金綱重治氏の写真撮影山行に同行しました。
越後の名山、苗場山の山頂湿原です。標高2100mの山頂付近はすでに紅葉も終わり、1年の営みを終えて積雪の時期を迎える準備をしているようです。
「見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ」
新古今和歌集の藤原定家の句がしみじみと胸に吹き抜ける、少し寂しげな高原の湿原が広がります。
カメラを構えて何かをとらえているのは金綱師匠です。
造園を志した息子を従えて、一瞬の自然の息吹を切り取るべく、カメラを担いで山上の湿原を歩く師匠。
師匠と、そしていつの間にか立派な青年になった息子 潤くん。雄大な山並みを背景に、なんだかわたしにとっても感慨深い光景です。
師匠の下で私が造園修行に励んでいた頃、潤君はサッカーに励む小学生でした。
少年だった彼が、大学卒業後、5年間の社会人経験を経て、そして今、師匠の下で造園修行に励んでいる。 いつのまにそんなに月日が過ぎたのか、、
二人の光景を見ながら、一人私は秋の感傷に浸ります。
天空の下、雲上の楽園に木道がめぐります。
今回は、風景写真の撮り方を師匠に教わろうと、同行したのですが、師匠がレンズ越しに捉えようとしているものは、全く私と異なっていたことに気付きます。
性格の違いでしょうか。そして、それが作る庭の作風にそのまま表れるから、造園の仕事は面白いものです。
自然そのものをまるで琳派絵画のごとく、その存在の美をその一瞬のうちに、最良の佇まいで捉えようとする師匠に対し、私の写真の構図はなんともいい加減なものだなあと気付きます。
寂しがりやの私は人の気配香る、少し中途半端でのどかな自然風景が好きなのかもしれません。
手前、男の渋み醸し出す素敵なおじさん(失礼しました)は、作庭処落合、東京都高尾の落合さんです。
私にとって落合さんと初めてのご一緒山行です。
穏やかな日差しの下、師匠恒例の野点の茶会が始まりました。
師匠と共にどこに出かけても、師匠の家をいつ訪ねても、いつも師匠は私たちに一服のお茶をふるまってくれます。
秋の苗場山行、一期一会の茶会です。
一人一人に丁寧にお茶を点てる私の師匠。
カメラを構える姿もさることながら、こうして山の中でお茶を点てる姿も、これほど似合う人はいないと感じます。
それにしても落合さんの自然体の表情もまた、和みます。落合さんの隣の若者は金綱造園5年目、なかなかの男です。造園修行も5年目となるとさすがに心身の芯が備わってくるようです。
温かな日差しの下、師匠の点てるお茶の時間がこうしてゆっくりと流れていきます。
この日この時この時間、そしてこの人たち、一期一会の時間が過ぎていきます。
湿原の水中に浮かぶのは何と杉苔です。庭では良好な生育条件作りに苦労する杉苔が、こんな高山の湿原、浸水する環境に青々と広がる光景に打たれます。
麓の風景。杉林の向こう、霧の中に紅葉盛りの木々が浮かんでいました。
金綱師匠の視点をまねて撮影してみました。色鮮やかな紅葉を引き立てているのは背景の杉の濃い緑。そして落葉樹の幹の線。
それまでの自分と全く違う視点で、木々にレンズを向けます。
新たな発見がたくさんあった山旅となりました。