鹿児島 森と共存する街つくりへ 平成22年11月12日
昨日、住宅街設計の打ち合わせのため、はるばると鹿児島県を訪れました。日帰りの強行軍です。
わずか6時間程度の滞在でしたが、1日たった今も、その感動が冷めやりません。学生時代以来の夢が実現するかもしれないという興奮と、そして、素晴らしい方との出会いの喜び、この感動から覚めるにはまだ少し時間が必要なようです。
ここは、周囲に霧島、高千穂連峰、桜島を望むシラス台地に開けた広大なベッドタウンの一角です。駅まで徒歩数分という便利で住みやすい立地条件にこの土地があります。
すでに住宅開発された周囲の家々には若い世代を中心に次々と定住し、この市の人口は今もなお増え続けているようです。
今は殺風景なこの広大な野に、本当の意味で暮らしと自然が共存する、豊かな住宅地を造る計画が動き出しました。
風景住宅地、しかも私たちが目指すのは決して高級な住宅地ではなく、30代から40代の子育て世代の普通の家族が、ごく普通に手にすることができる暮らしの舞台つくりです。
身近な自然の恩恵と温かな地域コミュニティ、それを現代日本に生きる普通の人たち、普通の家族、普通の子供たちに普通に提供したい、今回、この計画を実現されようとされる、鹿児島県の土地開発会社社長の思いと、千葉県の私が目指すものとが、ピタッと一致したのです。
「自然豊かな街つくり」などというと、いかにも言葉倒れの商売文句に聞こえるかもしれません。実際、言葉にすると陳腐で軽薄なものになってしまいます。そこに本物と偽物の違いというものが混在してしまうように感じます。
本物の人格というものは言葉に現れるではなく、その奥底に流れる水脈にあるように思います。
本物の人格には必ずその底流に清らかな水脈があり、それはその人の人柄にも志向にも生き方にも、はっきりと表れるもののようです。
そして、人格の底流に流れる清らかな水脈は、周りの人たちにも波及するように思います。今回鹿児島の会社を訪ねて、そして社内の方々と時間を共有させていただく中、その清々しく明るく温かな雰囲気を感じ、この事業に協力させていただけるご縁を本当に幸せに感じた次第です。
昨日の住宅街設計案プレゼンのための模型です。緑豊かで風格のある街の風景が醸成されるよう、樹木のスペースと家屋や駐車スペースの配置に最大の配慮を施しました。
私はこれまで、潤い豊かで快適な住まいの外環境を提供すべく、ひたすら力を尽くしてきたと、それだけは自負できると思います。
その中で培った、樹木の恩恵の活かし方、暮らしの場と木々との共存の仕方、そんなノウハウをすべて今回の街つくり計画につぎ込んだ気がします。
街つくりの基本方針は、今回作成したこのプランで進めることが決定しました。
前例のない街づくりかもしれません。それゆえに、計画実現のためにはこれからたくさんの困難を一つ一つ克服していかねばならないでしょう。
しかし私は、この人たちと組むのであれば、必ずできると確信しました。
新たなことをやろうとするとき、「それは難しいぞ。」と、忠告する人たちも必ずいます。もちろんそうした忠告も大変有り難いことなのですが、しかし、難しく考えていても前には進めないこともあります。情熱と信念の結集こそが、どんな困難をも突破してゆく原動力になると確信しています。
逆にいえば、情熱も信念もなければ新たな価値は決して生み出されないでしょう。
「多くの人は30年ものローンを組んで、人生の大半をその支払いに費やして、そして土地と家を持つのですから、提供する側としては、その土地を手にする家族が心豊かな暮らしを実現してほしいと思い、そのためにいろいろと工夫はしてきました。
しかし、実際に私たちが提供した土地に住まれる人たちが、心豊かな暮らしを手にしたかと考えると、正直なところそうではない気がしていました。
愛される街、郷土に誇りを感じる街、それは緑の力なくしては決して実現できないと思い始めました。」
そんな社長の祈りにも似た果てしなき想いから生まれた前人未踏の試み、それに協力させていただく喜びが私の心の中で沸騰しました。
鹿児島空港を出立する頃は、すでに日は沈み、夜の帳が足早に広い空を覆い始めていました。
今回の仕事で、夢が一歩前進したような充実感に浸りながら、鹿児島空港の空を、ぼんやりと見入ってしまいました。
夢は一人では実現できないことが多いように思います。しかし、どこに転がっているか分からないのが、人の縁というものです。
そして、人と人との想いと情熱が一致して何かに取り組むその時、1+1が10にも100にもなるもののように感じます。
それほど、人と人との出会いというものは可能性と希望に満ちた、人生の花のようなものに思います。
郷土を誇れる街、心豊かな暮らしの場、日本の街がそんな風になってゆくことを夢見ています。