過去のブログ 『雑木の庭』

南三陸町 いのちの森つくり    平成24年10月15日



ここは三陸リアス式海岸の南端、豊かな海の幸と共に生きてきた宮城県南三陸町です。

 美しい水面に光が揺れて、何とも言えない美しさです。志津川の河口に当たるこの海は、志津川周辺の豊かな森の養分が海に流れ込み、それが昔からよいカキの養殖場を育ててきました。
  海と川に恵まれた美しく豊かな河口域に集中していた南三陸の街は、先の津波によって壊滅的な被害をこうむりました。
 この美しい海と共に生きてきた多くの住民の命が、一瞬にして奪い去られ、そして海や川や森と共にあった豊かな美しい街は、1日にしてその多くが消えてなくなりました。
 この、美しく静かな海の景色からは、そのことがなかなか想像できません。が、津波が破壊して消えた街跡は今もそのままで、街の跡地を見ているとあの日の出来事の恐ろしさが目に浮かぶようです。

 津波の到達した山林の杉は、塩害によって見事にすべて立ち枯れました。山林の下方のみが縞状に見事に枯れている景色に、なにか不思議な気配を感じます。

 植林された杉は、津波に浸かった高さまですべて枯れてしまったのに対して、岩盤のために植林ができずに自然のままに残された広葉樹林は、同じ高さで津波に浸かったにも関わらず、大方が枯れることなく青々とした葉を茂らせていたのです。
 これがその土地に適応した木々の力というのものなのでしょう。

津波に浸かって枯れた杉林の林床で、この土地の気候帯に潜在的に生育するヤブツバキも、何事もなかったように健全に生き延びています。

 少し離れた松島の海岸沿い、ここでも今回の津波に何時間も浸かっていた場所にも、タブノキの幼樹が生き生きと命を繋いでいました。
 南三陸町の町の木がタブノキであるように、緯度は高くとも海の暖気が届くこの土地の気候帯では、暖地性のタブノキのような常緑広葉樹が優先し、潜在的な自然植生として適応して生育していたようです。
 こうしたその土地本来の木々は、これまで何度も襲ってきた津波にも耐えてその命を繋いできたのでしょう。

 この地に古くから鎮座してきた小さな神社も無事でした。津波はその下、数m足らずの高さで止まり、小さな社殿には到達していません。地元の人の話では、この地はこれまでに3度、大津波に襲われてきたと言います。その都度街は流されましたが、この社殿までは一度も津波は到達しなかったと言います。
 このような地に社殿を建てた古来の叡智に、なにが本当の大切なものなのか、考えさせられる気がします。

 壊滅したこの街に再び、津波に負けない本物の森を育てようと、昨日植樹祭が行われ、町民だけでなく全国から100人以上のボランティアが集まりました。

 植栽樹木は、タブノキ、スダジイ、ウラジロガシ、アカガシ、シラカシ、を主木に、ネズミモチ、モチノキ、シロダモ、ヤマザクラ、イタヤカエデ、オオモミジなど、潜在的な常緑広葉樹を中心に十数種類を密植混植して、競争させながら自然の森を再生していきます。

 こうして作られたこの土地本来の木々による森は、今後必ず再び訪れる津波にも負けずに力強く命を繋ぎ、災害時の住民の避難場所になるだけでなく、土地本来の豊かな森がまた再び良い漁場や養殖場を育ててくれることでしょう。

 植樹指導は、横浜国立大学名誉教授、宮脇昭先生です。本物の森、いのちの森を再生すべく、84歳になった今も、1年のうちの大半は植樹のために世界を駆け回っておられます。
 何度お会いしてもエネルギーの塊のような方、天命を与えられた人というものはそういうものなのでしょう。

 宮脇先生の隣でネズミモチの苗を掲げるのは、女性造園家のホープ、高田造園自慢の社員、竹内和恵です。(これは余談でした・・。)

 大体、こうしたイベントに率先して参加する若者は、確実に女性の方が元気なように感じます。将来のまともな日本を再生するのは女性の力なくしてあり得ないことでしょう。
 これだけの災害を経験しながらも、ごちゃごちゃ言って世の中を何も変えられない日本のだらしない男社会。これからの時代はこうした夢と志溢れる有望な女性に担ってもらわねばなりません。
 と言いつつ私は男、力強い女性たちに負けずに頑張らないといけません。

 大地に植えつける前のポット苗を水につけてたっぷりと水分を吸わせます。

 そして、枯れた杉林跡地の急な斜面に苗木を運び上げて、みんなで分担して植えつけていきます。

 
 苗木を植え終えた後には、表土を守るために枝葉をかぶせていきます。この急な斜面に手分けして、手渡しでマルチに用いる枝葉を運び上げていきます。
 子供も女性も急な斜面をものともせずに、将来の森の姿を夢見ながら、作業が進みます。これが数人での作業なら、どれだけ時間を要していたことか、そう思うと大勢の人が力を結集することの素晴らしさを実感します。 

 植え終えた斜面を見上げます。被災した山林のほんの一隅です。これがこの街全体、そして日本全体に繋がってゆくことを夢見て、そしてこうして黙々と共に汗を流す人がいるのです。
 日本も捨てたものではありません。一歩を踏み出す人がこうしてたくさんいるのですから。

 いのちの森つくり、壊滅的な被害を受けた南三陸町でこうしてはじまりました。

 植樹祭の最後に、皆で「ふるさと」の合唱です。

植樹に参加した子供達のまなざし。

「山は清きふるさと 水は清きふるさと 忘れがたきふるさと」

 私たちが伝えるべきこと、この教訓を生かして、何が大切かを考えること、そして、豊かな自然とふるさとの心を子孫に伝えること。

 この日の植樹のために準備された多くの方々に、素晴らしい経験をさせていただいたことに参加者の一人として厚く御礼申し上げます。

株式会社高田造園設計事務所様

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