ダーチャサポートプロジェクト始動 前編 平成26年5月10日
ここは山梨県北杜市。西に南アルプス、東に八ケ岳連峰と、日本を代表する中部山岳の山々に囲まれた冷涼な高地、その山間に風景に溶け込むのどかで美しい暮らしの風景が今も変わらずに見られます。
登山に明け暮れた若い頃、山に向かう中央本線の車窓から見たこんな風景は今も変わらず、ここではまるで何十年も時が止まっているような、そんな懐かしさを感じます。
連休明けの7日から、NPO立ち上げ準備会合のために、この地を訪れました。
今私たちが立ち上げの準備を進めているのは、「NPOダーチャサポート」と言います。
今後その活動を通して、里山や耕作放棄地の再生、食糧・エネルギーを含む自給的暮らしの場を多くの人に提供していきたいと考えております。
また同時に、自然とかけ離れてしまった街の人たちに週末田舎暮らしの場を提供し、様々な形で自律した自然共生型の暮らしのサポーをトしていきます。
ここで少しばかり、ダーチャというものについて紹介したいと思います。
ダーチャとは、ロシアにおける、簡易ハウスのある菜園用地を言います。都市郊外の自然豊かな田舎にダーチャ村は点在し、今も8割以上のロシア人世帯が、ダーチャを所有しています。
彼らは普段は都会のアパートなどに居住し、週末には家族と共に郊外のダーチャで過ごすことが多いようです。
7年前、ロシアサンクトペテルブルグ市で催された日本庭園講座開催のためにロシアを訪れた時、初めて私はダーチャの存在を知りました。
週末を彼らのダーチャで過ごさせていただき、都会を離れ、大地と共に生きる時間をとても大切にする、陽気なロシアの方々と共に暮らす中で、日本人もこんなライフスタイルが実現できれば、人も社会もどれほど心豊かなものになるだろうと、強く感じたのです。
これはハバロフスクの夏のダーチャです。(写真提供;神奈川県日本ユーラシア協会理事長 柴田順吉氏)
ダーチャの一区画は平均200坪から250坪程度で、彼らはそこに自分で家を建て、果樹を植え、畑を耕しながらゆっくりとした田舎の時間を楽しんでいるのです。
ダーチャの畑です。夏のダーチャは一年を通して最も美しい時で、野菜に穀物、果物と、様々な作物が次々に実ります。ロシアの多くの人は今も、ダーチャで自給的な作物栽培を続けているのです。
実際に、ダーチャでの食糧生産は大変なもので、例えばロシア全体のジャガイモの8割はダーチャで自給的に生産されていると言います。
かつてのソ連崩壊における経済危機の際にも、彼らにはダーチャがあったおかげで、一人の餓死者も出さなかったのです。
これはペチカという、ロシア特有の薪ストーブです。数本の薪で一晩中家を温め続けるほどの、驚くほど効率のよい構造になっているのです。薪をくべて扉を閉め、煉瓦の壁の中にくねくねと張りめぐらされた煙突から煙の熱が壁面に蓄熱し、壁全体を暖めるのです。
薪は暖房だけでなく、炊事やバーニャと呼ばれるロシア家庭の伝統的なサウナなど、暮らしの中の主要なエネルギー源として、ダーチャ村では多用されます。
自給的な暮らしのダーチャ村では当然、周囲の森から薪を伐りだします。一つのダーチャ村は数百世帯程度で形成されているので、周辺の山から相当な薪の伐りだしが必要になります。
サンクトペテルブルグ郊外のダーチャ周辺の森です。
近隣の森は、間引くように伐採されつつも、集落を取り囲む森としてしっかりと木々が残されて、、そして後継となる若木もそこで育っているのです。
彼らが無秩序に自分の土地に近い場所から薪を採取していけば、森は周囲から遠ざかっていくことでしょう。
しかし、そこにどんなルールがあるのかわかりませんが、彼らは環境としての木々の大切さ、かけがえのなさを知っており、森が森として持続できるように利用しているのです。
サンクトペテルブルグ郊外、ダーチャ村の夕景です。木々の中にとても美しく神々しく、大地を賛美しているようです。
平日は多くの日本人同様に都会で暮らす彼らが、ダーチャ村での自然と共にある暮らしの中で周囲の木々を守り、木々に守られ、その共生の暮らしこそがこの美しい光景を作り出してきたのです。
今の日本が忘れてしまった大切なものがここにある、彼らは持っている、そんな感動に包まれたダーチャでの光景でした。
大地の恵みを収穫し、そして家族や友人たちと料理を分け合い、心躍る楽しい時間を過ごします。
ダーチャでの朝食のひと時。小さな子供も、家族と一緒にダーチャに行く週末をいつも楽しみにしています。
ランプの灯りを見つめる時間。だたそれだけでも子供にとってはぞくぞくするほどの楽しい時間。
大人も子供も金曜日の夜にダーチャに着くなり、うれしさのあまりに大はしゃぎです。
「ロシアの若者もダーチャに行くのか。」と、彼らに尋ねたところ、やはりロシアでも年頃になると都会の方が楽しくて一時期ダーチャ離れする若者も多いと言います。しかし、彼らも結婚して子供を持つと、再びダーチャでの週末ライフに還ってくると言います。
きっと、子供の頃のダーチャでの楽しい思い出が忘れられずに、彼らの心の原風景となっているのでしょう。そして、そんな豊かな心と楽しい思い出を自分の子供達にも伝えたいとの思いから、彼らの多くは今も週末の自給的暮らしを捨てることなく保ち続けているのでしょう。
サンクトペテルブルグの街の風景。彼らは一見、多くの日本人と何ら変わらぬ都会の生活者に見えますが、彼らの大半は自給する能力も持つ市民なのです。
彼らはたとえ社会が崩壊しようと戦争が起ころうと、お金が紙切れになろうと、いざとなればダーチャで大地と共に自給的に暮らす術を持っているのです。
一方日本の多くの都市生活者はお金が途絶えれば生きていけないと感じていることでしょう。
私たち日本人は戦後の経済的な豊かさの追求の中で大切なことを見失い、生存の源たるべき身近な自然環境を破壊し続け、そして我々の暮らしは本当の意味で、貧困で脆弱なものになりはててしまったのではないでしょうか。
豊かになったロシアでは今でも、都会の暮らしと田舎の暮らしを多くの人が両立させているのです。彼らにとってダーチャ生活を失うことは、大地との絆を失うに等しく、本当の意味でのセーフティネットを失うことだと、多くの人が知っているのでしょう。
自分で家を修繕し、大地を耕して作物を育て、生活に必要なものを森や畑から得て、そして感謝を持って大地を次世代に受け継いでゆくという、私たち日本人が忘れてしまった、大切なものを彼らはその暮らしの中で今も持ち続けているのでした。
さて、日本に戻ります。ここは北杜市の山間、五風十雨農場です。
農場主の向山さんは十年近く前、この休耕地を借り入れて周囲の森の木だけでこの集会棟を建て、電気、燃料エネルギー、水といったライフラインも自給できる体制を整えたのです。
ここで付近の農地山林の再生に取り組み、都会の人たちを集めて田植えしたり様々なイベントを通して学びと遊びの場を提供し、自然と共にある健康で豊かな本当の暮らし方をここで実践し、体験してもらっていたのでした。
今回、日本でもダーチャのある自然共生型の暮らしを広め、人と自然とのつながりや自然と共にある暮らし方を支援し、広めてゆくべく、ここに有志が集まり、2泊に渡ってNPOダーチャサポート設立準備会議(エンドレス談義)が開かれました。
さて、大変長いブログになりますので、後篇はまた次回にご期待くださいませ。